「あの夜」イ・ジュンヒョンさん(56)は密かに服を用意した。
まだニュースを見ていない妻は、部屋で娘と会話していた。「いちばん暖かい服を持って登山用の靴下と手袋を取り出した」。 「一日二日で終わるようなことではない」と思った。金融取引に必要なOTP(ワンタイムパスワード)生成機もポケットに入れた。情報技術(IT)会社の代表であるイさんは「事態の展開によっては街頭で仕事をしたり、電話で業務の指示をしなければならないかもしれない」と思った。最後に身分証明証を入れた。イさんは1980年代末、光州(クァンジュ)の大学に入学し、5・18光州民主化運動の惨状を知った。「当時、身元が判明せず、家族の元に帰れなかった」犠牲者も多かった。イさんが身分証を携帯したのは「もしものことがあっても、私が誰なのかは確認できるように」という願いからだった。「音を立てないようそっと玄関のドアを開けて出てきたが、ドアを閉めると『ピピッ』という電子ロックの音がやたら大きく聞こえた」。「妻と娘が引き留めようと飛び出してくるかもしれないと思い、エレベーターを降りるやいなや外に向かって走った」。ソウル江北区三陽洞(カンブクグ・サムヤンドン)から汝矣島(ヨイド)へと急いで車を走らせた。
京畿道高陽市(コヤンシ)では、ユ・ヒョンジュさん(66)が娘に引き留められていた。娘は玄関のドアの前に立ちはだかり、「力づくで出られないようにしていた」。「生まれて初めて見る」頑固な姿だった。「お母さんが土曜日に集会に行くのは止めないが、今日は絶対にだめだ」とし、「頑として」動かなかった。靴を履こうとする母親を阻んで、どいてくれなかった。ユさんは「気持ちは分からなくもないが、行かなければならない」と引かなかった。外で待っていた三姉妹の三女が姉の自宅のドアまで迎えにきた。状況を把握した妹は「姉さんは家にいて」と言った。心配する娘のためにも、そうしようかと悩んだが、ユさんはあきらめなかった。「年を取った私が行かなければ」として意を曲げなかった。「観念した」娘が「20分以上以上にわたる攻防の末、力を抜いた」。ユさんは甥が運転する車に乗って汝矣島まで走った。
「12月3日に国会に駆けつけた市民を探しています」
財団法人「真実の力」が「内乱の夜」の現場にいた人々の声を聞き、記録し始めた。非常戒厳を謀議して実行した主犯や黒幕、助力者たちが明らかになっているが、その日の夜、戒厳を阻止した人々は依然として顔のない一塊の「市民」として残っている。「戒厳宣言(午後10時28分)から解除宣言(翌日午前4時27分)まで兵士たちを阻んだ人々は誰であり、どんな気持ちで国会前に駆け付け、彼らが守ろうとしたものは何であり、彼らが願う社会はどんなものかを聞いて記録」(ソン・ソヨン常任理事)する時、内乱の実体だけでなく、「内乱に打ち勝った民主主義」も完全に再構成することができる。
ユさんは「真実の力」が初めてインタビュー(1月23日)した「あの夜の市民」だった。国会は結婚前に彼女が勤務(1980・90年代、事務局の公務員)していた職場だった。 「もう十分生きましたから」と語ったユ・ヒョンジュさんは涙をのみ込んだ。
「一通り手に入れるべきことは入れましたし、子どもたちもみんな結婚しました。これまでの人生に悔いも未練もありません。死ぬ前にあまり悔いを残したくありませんでした。(国会に)行ったら危ないかもしれない。危険であればあるほど、私が(戒厳軍の)前にいるべきであって、若い子たちを前に立たせてはいけないじゃないですか。現場に行きたいと思いました。行って何をどうするというのではなく、とにかくその現場にいたかったんです」
ユさんは三姉妹の長女だ。家に迎えに来た2人の妹、ヒョンシルさん(60)、ヒョンミさん(57)と一緒に、ヒョンシルさんの息子が運転する車に乗り込んだ。国会近くで降りた後、甥は家に帰した。
三女のヒョンミさんは、「母親が死ぬかもしれないと思い」ヒョンジュさんの前に立ちはだかって「対峙」する姪を見て、「胸があたたかくなった」という。姉たちと会う約束をして家を出る前、ヒョンミさんは友人らに電話をかけた。
「『三姉妹、壮烈に散華する』、そんな風に記憶に留めてほしい」
冗談半分だったが、ヒョンミさんは「少しずつ怖くなってきた」という。恐怖に打ち勝ったのは「侮辱感」だった。
「戒厳が成功すると思うと、もう生きていけない気がしました。どうしても『それ(戒厳)以降』が想像できませんでした。耐えられない侮辱感を覚えました。阻止できると思って(国会に)向かったわけではありません。何かしなければならないから、とりあえず行こうと思いました。できることがそれしかなかったから。国会の前に集まる市民を一人でも増やそう、それでもやってみようという気持ち。今思い返すと、自分がこれから生きていくために向かったんだと思います」
ヒョンミさんは絵本作家だった。マンションを出る直前、ドアに映った自分の姿を見た。「変な気がして、人を描く時のように詳しく」目に留めた。「家を出る途中、思わず家の中を見渡した」。短い時間が経った後、心に誓うかのように口に出した言った。「もう行こう」
(2に続く)