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尹大統領、我田引水…「裁判官もそうお考えだと思いますが」

登録:2025-02-12 08:50 修正:2025-02-12 09:41
尹錫悦大統領が11日、ソウル鍾路区の憲法裁判所で行われた自身の弾劾審判の第7回弁論に出席している=写真共同取材団//ハンギョレ新聞社

 「軍検察なら軍検察、警察なら警察、一貫して一つの機関が調査したのではなく、複数の機関が寄ってたかってごちゃごちゃ言って調査し、また国会でおこなった聴聞記録まで混在しています。調書も互いに相反するものが多く、前回ホン・ジャンウォン(前国家情報院第1次長)や他の関係者たにち、私たちがここ審判廷で証人尋問をしましたが、彼らの調書に記載された内容と私たちが実際に聞いた証言がかけ離れていることを多くの人が感じたと思いますし、裁判官もそのようにお考えなのではないかと思いますが」

 尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領は11日、憲法裁判所で行われた弾劾審判の第7回弁論で、証拠採用手続きの終了後にこのように述べ、「妄想」に浸った。尹大統領は国務会議の手続き上の欠陥についての反論にも熱がこもっていた。イ・サンミン前行政安全部長官が非常戒厳宣布前の国務会議の議事録に連署がされていなかった理由について「戒厳が宣布された時間が何しろ短く、内乱だと言って混乱した状況が続いたため、所管の省庁がうっかりしたのではないかと思う」と答えると、自らマイクを握って「連署というものは大統領の法定行為に対してするものであって、会議録に連署をするというのは全く違うのではないか。間違ったことをおっしゃったようだ」として、「戒厳宣布なら国防長官と関係長官、首相、大統領が(連署を)しなければならないが、そのようなことは事後にもできる」と主張した。するとイ前長官は「そのような趣旨で申し上げたが、若干誤解があったようだ」と慌てて言いつくろった。

 尹大統領は、国務会議録が作成されなかった理由としては、「(昨年)12月6日に行政安全部から国務会議録を作成するから関連書類を送ってくれと言われ、大統領秘書室から(12月)10日にすべて送った」とし、自分の過ちではないと強弁した。「(ハン・ドクス)首相が『(国務会議録の)作成権限は国防部にあるので、国防部から決裁が上がってくるのが正しいと言ったので(待ったが)、国防部が上げてこなかった』との主張だ。

 尹大統領は、国会法をあたっていたため非常戒厳の解除が遅れたとも主張した。国会は12月4日午前1時3分ごろに戒厳解除要求案を議決したが、尹大統領が戒厳を解除したのは3時間あまりが過ぎた午前4時26分ごろだった。この日、証人として出廷したシン・ウォンシク国家安保室長は、午前1時40分ごろに尹大統領が合同参謀本部の決心支援室(統制室内部に別途設けられた保安施設)で法令集を見ていたと明かした。尹大統領はシン室長に対する証人尋問の終了後、発言権を得て、「私がそこで見ようとしていたのは国会法だった」として、「指揮統制室に入ったら、(非常戒厳解除要求案が)議決されたのが(放送で)流れた。戒厳解除しなければならないが、文案をどのように作ればよいのか考え、国会法を持って来るように言ったがちゃんと持ってこず、国会法を持ってくるのに時間が非常にかかった」と語った。続けて「民情首席に『文案のためにしているのだから早く検討しろ』と言って、そのまま受け入れることにした」と述べた。解除が遅れたことで、追加戒厳を議論していたのではないかという疑惑が持たれていたが、それを否定したのだ。

 尹大統領は、自身が非常戒厳を宣布した背景を説明した際、国会での施政方針演説の際に自身を歓待しなかった野党「共に民主党」を批判し、時に大きな声を上げもした。尹大統領は「いくら憎くても(大統領の)話を聞いて拍手くらいはするのが対話の基本だが、私が就任して出向いたら、ロテンダホールで(野党が)大統領退陣デモをしており、議事堂に入ってもこなかった」とし、「何とか野党を説得して何がしかをなそうとしたのだが、文明国家において、現代史において見られない連続弾劾をやるというのは非常に悪意に満ちて」いると述べた。これついて弾劾訴追委員を務めるパク・ウンジョン議員(祖国革新党)は記者団に対し、「(野党が大統領を)歓待しなかったといって銃を持って国会に攻め入って非常戒厳してもよいのか」と批判した。

キム・ジウン、オ・ヨンソ、チャン・ヒョヌン、シン・ミンジョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1181877.html韓国語原文入力:2025-02-11 16:42
訳D.K

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