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佐渡鉱山に勤務した日本人「強制動員は事実」…韓日市民、調査報告書を発刊

登録:2023-04-26 09:53 修正:2023-04-26 11:03
強制動員共同調査報告書を発刊
佐渡鉱山周辺には80年前に朝鮮人労働者が生活した跡が残っている。鉱山の裏側の空き地に石が積まれている所は朝鮮人労働者が毎日食事した食堂の跡だ。案内板一つなくがらんとしている=佐渡/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 「稼動の悪い連中(仕事ができない人)に弾圧の政策を取り、勤労課に連れ来り、なぐるける、はたでは見て居れない暴力でした」

 旧三菱鉱業が運営していた新潟県佐渡市の佐渡鉱山の労務係だった杉本奏二氏は、1974年、この鉱山の歴史を調査していた本間寅雄氏(1926~2006)に書簡を送った。杉本氏は、1940年1月に忠清南道論山(ノンサン)で朝鮮人100人(実際に鉱山に到着したのは98人)を「集団募集」方式で強制動員した人物だった。

 書簡には、ユネスコ世界遺産への登録をめぐり現在韓日間で激しい議論が行われている佐渡鉱山で、朝鮮人がどのような過程を経て動員され、どのような待遇を受けたのかが書かれている。「彼等(朝鮮人労働者)にすれば強制労働をしいられ、1年の募集が数年に延期され、半ば自暴自棄になって居た事は疑う余地のない事実だと思います」

 韓国の「民族問題研究所」と朝鮮人強制動員に関する歴史の真実を明らかにしてきた日本の市民団体「強制動員真相究明ネットワーク」は24日、佐渡鉱山の強制労働の実態を究明した韓日市民共同調査報告書「佐渡鉱山・朝鮮人強制労働」を発行した。

 韓日市民は、日本政府や警察が作成した18の公文書、杉本氏ら労務関連職員の証言、2004年に設立された韓国政府の日帝強占下強制動員被害真相究明委員会に寄せられた被害届(148人が被害者と認定)の内容などを総合的に検討し、佐渡鉱山に連行された朝鮮人1519人の強制労働の実態を明らかにした。韓日市民はこのうち700人余りの名簿を作成し、18人の死亡実態を確認した。

三菱佐渡鉱山の労務係だった杉本奏二氏が、佐渡鉱山の歴史を調べていた本間寅雄氏に1974年に送った書簡。朝鮮人がどのような過程を経て鉱山に動員され、どのような待遇を受けたのかが赤裸々に書かれている=民族問題研究所提供

 朝鮮人労働者は鉱山に文字通り「強制動員」された。杉本氏は募集に先立ち、募集希望地域、雇用期間、職種などを書いて朝鮮総督府に提出し、希望地域での労働者の割当を得るために総督府・道庁・郡庁関係者に「外交戦術」(接待を意味する言葉)を使った。朝鮮総督府の行政力は徹底的かつ暴力的なかたちで働いた。郡庁の労務係が面事務所の労務係を督促して人員を集め、警察が思想などの身元調査をして炭鉱に送った。

 植民地の朝鮮人たちに選択肢はなかった。

 兪鳳喆(ユ・ボンチョル)さん(1916年生まれ・論山)は「1940年頃に佐渡鉱山に動員された。論山の学校の校庭に集められ、100名ほどが論山駅から釜山(プサン)を経由して佐渡に連れていかれた」と語った。

 一緒に動員された金文国(キム・ムングク)さん(1913年生まれ・論山)は「帰国後、じん肺のため、息が苦しく、布団をたたんで、それにもたれてやっと息をするようになる」状態まで体を壊した。彼は治療と生計のために田畑を売らなければならず、40代で死亡し、家族に多額の借金を残した。

 尹鍾光(ユン・ジョングァン)さん(1922年生まれ・青陽)は「1941年、家に親、新婚の妻を残して動員」され「最初(勤務期間が)2年という約束だったが、何の説明もなく契約が更新された」という証言を残した。

 金洙亨(キム・スヒョン)さん(1928年生まれ・清州)は「家族が多い家から徴用に行かなければならないと、面書記と報国隊の担当者が令状を差し出し、動員されることになった」と述べた。このようなかたちで、1940年に646人など計1519人が鉱山に連れていかれた。

 労働環境は極めて劣悪だった。1940年3月に日本内務省警保局の特別高等警察が発行した「特高月報」には、論山から動員され鉱山に到着した朝鮮人たちが待遇改善を求めて2月17日に争議を起こした事実が記録されている。

 朝鮮人は、はたで見ていられないほど殴られ、耐え切れず脱出する人も多かった。1941年12月15日付の樺太(現南サハリン)庁「警察公報」によると、1941年11月に三菱佐渡鉱業所から逃亡した4人の朝鮮人の咸然泰(ハム・ヨンテ)、趙玉同(チョ・オクトン)、尹晟炳(ユン・ソンミョン)、李化実(イ・ファシル)が指名手配されたという。

 危険な坑道内の作業はたいてい朝鮮人が担当した。佐渡鉱業所が1943年に作成した資料「半島労務管理ニ付テ」によれば、同年5月現在で危険な坑内作業を担当していた646人のうち、481人(74.5%)が朝鮮人だった。

 三菱鉱業は月給を全て現金で支給せず、いろいろな理由をつけて貯蓄や保険などに加入させた。被害者の大半は、日本が敗戦した後、故郷に帰る過程でこの賃金を受け取れなかった。結局、朝鮮人1140人が残した未払い賃金23万1059円59銭は、新潟司法事務局相川出張所に供託され、10年後に時効が満了し、日本の国庫に編入された。

 韓日市民団体は11日、佐渡鉱山の世界遺産登録を審査するユネスコの諮問機関である国際記念物遺跡会議(ICOMOS)に韓国語・英語・日本語で作成された報告書と意見書を提出した。

 韓日市民団体が報告書を完成させることができたのは、1970年代から積み上げてきたさまざまな努力によるものだ。1970年代に本間氏などの郷土史学者が蓄積した資料を、1990年代に佐渡市と新潟県の市民たちが積極的に発掘した。この人々は1991、1992、1995年に3回にわたって韓国を訪問し、被害者探しに取り組んだ。この成果をもとに、被害者本人や遺族を現地に2回招いて証言集会も開いた。

佐渡鉱山内の代表的な遺跡地「北沢浮遊選鉱場」。日本で初めて鉱石から金銀を採取する浮遊選鉱法を導入した。日本政府が朝鮮人強制労働論議を避けるために江戸時代の遺産だけを対象にユネスコ世界遺産に登録を推進し、対象から外れることになった=佐渡/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 その後しばらく記憶の中に消えていた「歴史の真実」に、再び光が当たるようになったのは、日本政府の歴史否定論のためだった。日本政府は2021年4月、朝鮮人労働者が「強制連行された」という表現は適切でなく、当時朝鮮人は国際法に照らして強制労働をさせられたわけではないという内容を閣議決定した。これに納得がいかなかった韓日市民は、これまで蓄積してきた資料を積極的に再発掘し、韓国の国家記録院が保管していた被害者の申告内容などを閲覧し、報告書を作り上げた。

 報告書の作成に参加した日本の歴史研究家の竹内康人さんは「日本政府は安倍政権で強制労働を否定し、このような誤った歴史認識をもとに単純に観光のための資源として佐渡鉱山の世界遺産登録を推進している」とし、「歴史を研究する者としてこのような歴史否定論を克服したい」と述べた。民族問題研究所のキム・スンウン責任研究員も「韓日市民と被害者が、両国政府の歴史否定の試みを克服して歴史の実体を具体的に記録しようと努力したのが今回の作業の意味」だと語った。

キル・ユンヒョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/1089228.html韓国語原文入力:2023-04-25 15:34
訳C.M

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