本文に移動

セウォル号惨事から9年…「4月の苦しみ」乗せ、黒く深い海を流れていった菊の花

登録:2023-04-17 10:39 修正:2023-04-17 15:53
セウォル号惨事から9年、船上追悼式
16日午前、セウォル号犠牲者遺族たちが全羅南道珍島郡孟骨水道の事故海域を訪れ、追悼ブイを眺めている=キム・ヨンヒ記者//ハンギョレ新聞社

 「生きていたらどんな27歳の若者になっていたでしょうか。一日たりとも忘れたことはありません。生きていても、笑っていても、幸せではありませんでした。会いたくて仕方がありません」

 9回目に訪れた全羅南道珍島(チンド)の孟骨(メンゴル)水道は、この日も黒々としていた。計り知れない深さの海に投げた白い菊は「4月の痛み」を乗せて遠くへと流れていった。

 16日午前2時、京畿道安山市(アンサンシ)を出発した0416檀園高校家族協議会(協議会)の遺族・知人35人と、4・16財団、安山オンマウムセンターの関係者ら62人は、セウォル号惨事から9年を迎え、木浦(モッポ)海洋警察署の専用埠頭で1500トン級の警備艦1509艦に乗り、事故海域に向かった。

 陸地を離れて約3時間後に事故海域に到着した遺族たちは、セウォル号が沈没した時刻の午前10時30分に合わせて追悼式を準備した。成均館大学演技芸術学科の学生たちが、犠牲になった250人の生徒たちの顔写真入りの横断幕を広げた。彼らは4・16財団の支援を受けてセウォル号関連の演劇を企画している。演劇を作るためにはセウォル号事故海域を直接見なければならないと考えた彼らは、この日檀園高校の犠牲者遺族たちに同行した。

 犠牲になった檀園高校の生徒たちと同じ年に生まれた同大学演技芸術学科3年のチョン・ソンジンさん(26)は、「想像するだけだった事故海域に直接来てみると、思ったよりも寒くて深く、暗くて、悲痛な気持ちになる」とし、「少しでも悲しみを和らげる助けになりたいと思い、横断幕を持った」と語った。

 午前10時40分、事故海域を知らせる黄色い追悼のブイにたどり着くと、遺族たちは黙祷を捧げた。「忘れないよ/忘れないよ/絶対に忘れない/必ず覚えておくよ、すべて覚えておくよ/一人も取り残されないように」。曲「忘れないよ」がスピーカーから流れると、遺族たちはこらえていた涙を流した。

16日、全羅南道木浦市の木浦新港でセウォル号惨事犠牲者遺族たちが追悼式を終えた後、セウォル号船体を見て回っている=キム・ヨンヒ記者//ハンギョレ新聞社

 協議会委員長である故キム・ピッナラさんの母親のキム・ジョンファさん(55)は、追悼の辞で「ここでの事故でなぜ子どもたちを失わなければならなかったのか分からないまま、私たちは今日、また9年目を迎えます」とし、「天の星になった子どもたち、あなたたちの夢がこの地の希望として輝くことを祈る。今晩夢に来て、私たちを抱きしめてほしい。本当に会いたい。愛してる」と涙声で語った。

 続けて、それぞれ菊を手にした遺族たちはブイに向かって投げながら嗚咽した。「セヒョン、セヒョン、どこにいるの。私もついて行きたい」 。イ・セヒョン君のおばあさんの絶叫が響いた。

 午後2時、船から降りた遺族たちは、セウォル号の船体のある木浦新港に向かい、献花と黙祷を捧げた。「9年目、未完の宿題を忘れません」「お兄さん、お姉さん、忘れないよ、向こうで幸せでありますように」など、犠牲者を追悼する黄色いリボンが遺族を迎えた。

 この日、週末を迎えてセウォル号を追悼しに来た数百人の訪問客も木浦新港を訪れた。全羅南道潭陽(タミャン)から来たというカン・クムジャさん(65)、キム・キョンオクさん(65)は、「真っ黒に錆びたセウォル号を見ると、亡くなった子どもたちが思い出されて胸が痛む」とし、「セウォル号の船体をこんなふうに放置しておかずに、一日も早くちゃんとした追悼空間にしてほしい」と話した。

 一方、海洋水産部は2024年から2028年まで木浦新港から1.3キロメートル離れた港湾背後団地にセウォル号の船体を移し、永久保存する計画だ。

文・写真:キム・ヨンヒ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/area/honam/1088072.html韓国語原文入力:2023-04-17 02:30
訳C.M

関連記事