「9年経っても世の中は驚くほど変わっていません。災害が起きれば被害者や生存者だけが残り、そのような世の中を作らないためもがき苦しんでいるのに、他の人たちはただ見ているだけ。災害は誰にでも突然訪れるということを、どうしてまだ分からないのでしょうか」
2014年4月16日のセウォル号惨事当時、檀園高校2年生だった生存者のユ・ガヨンさん(26)は、2022年10月29日、梨泰院(イテウォン)で同年代の若者たちの死を再び目の当たりにし、大きなショックを受けた。時間が経ったにもかかわらず、セウォル号惨事当時と何も変わっていなかった。 「遊びに行って事故に遭ったのを自慢げに言うことか」といった誹謗中傷、守られなかった被害者と遺族、不十分な心理治療支援、責任を取らない責任者たち…。
特に、現場で友人たちを失った高校生の生存者がついに自ら命を絶ったと聞いて、ユさんは2014年当時の苦しみが蘇るようだったという。ユさんは3月30日、本紙とののインタビューで、梨泰院惨事の生存者が集まりにくい構造に対するもどかしさを覗かせた。「災害直後の1~2年は考えすらまとまらず混乱しているため、カウンセリングを受けてもあまり役に立たないと感じることがあります。そんなときこそ生存者同士が連帯することが大事なんです。『同じことを経験し、これから似たような人生を送っていくんだ』という同質感だけでも生きていくうえで慰めになります」
セウォル号惨事から2カ月たって檀園高校に戻ったユさんは、他の生存者たちと共に、いまやそばにいない友人たちの黄色い名札を作り、やり取りした手紙や会話などをそれぞれの方法で記憶にとどめた。大学生になってからは、シーランド惨事(青少年修練院火災事件)後に遺族が作った子ども安全体験館を訪ねたり、過去の軍事独裁時代に国家暴力被害者が作った団体「真実の力」を訪問することで、再び立ち直る元気をもらった。「その方々に会って、人間は傷ついてくじかれても立ち直れるし、世の中を変えていける存在であることに気づかされました。自分が味わった苦しみを人には味わわせない力が私たちにあります。私も何かできればと思うようになりました。(セウォル号)惨事以降、何事にも情熱が持てず無気力に過ごしていた私にとって、初めてできた目標でした」
それ以降、ユさんは生存した友人たちと共に「傷ついた癒し人」という意味の「ウンデッド・ヒーラー」(Wounded Healer)という非営利団体を立ち上げた。それぞれ持っている傷を道具にして、自分の傷だけでなく他人の傷まで癒やしていこうという意味だった。「子どもたちにトラウマとは何かを教える人形劇と本を作り、気候災害ボードゲームの講師としても活動しました。昨年の蔚珍(ウルチン)山火事の時は、被害を受けた高齢者を助ける『サランバンプロジェクト』を進め、他の災害被害者の傷を癒やす手助けをするうちに、私も癒されている気がしました」
ユさんはこの9年間の日記をもとに『風になって生き抜くよ』という本を書いた。これまでインタビューなどを断ってきたユさんが、初めて勇気を出して世の中に向かって声をあげたのだ。同書には大学時代に心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断され、精神病院の閉鎖病棟に入院するなど「深い傷の中で自分を責めながら苦しみ、世の中をひどく恨んでいた瞬間」も含まれている。ユさんは「9年が過ぎたが、まだ薬を飲んでおり、カウンセリングも受けている。最初の1~2年は元気に過ごしているように見えても、数年後突然状態が悪化する場合も多い。一定期間が経過すると、カウンセリングなどの医療支援が途絶え、支援を受けるための訴訟まで続けなければならない状況だ。期限を設けない支援が切に求められる」と語った。
就活中のユさんは災害現場を訪ねて回るNGOの活動家になるのが夢だ。「20代前半までは世の中に背を向けて生きてきましたが、今は世の中に出たいと思っています。私と似たような境遇の方々に、もがき苦しみながらも、耐えていけば立ち直れるという勇気を与えたいです」