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「助けて」アフガンの同僚の叫びに眠れなかった夜…「ようやくほっとした」

登録:2021-08-26 03:55 修正:2021-08-26 08:19
[インタビュー]ソン・ムンジュン仁済大学一山白病院教授 
アフガン・バグラム基地韓国病院長として勤務
仁済大学一山白病院のソン・ムンジュン教授(神経外科)=仁済大学白病院ウェブサイトより//ハンギョレ新聞社

 アフガニスタン・バグラム基地の韓国病院長を務めた仁済大学一山白病院のソン・ムンジュン教授(神経外科)は最近、携帯電話から目が離せない数日間を送った。現地病院で共に働いていたアフガンの同僚から、フェイスブックで「私たちのうち何人かはゲートを通過できなかった」、「助けて」という細切れのメッセージが頻繁に届いたためだ。ソン教授は25日、本紙の電話取材に対し、「眠れず、焦りもしていたが、紆余曲折の末、連絡を取り合っていた同僚たちが外交部などの助けで全員脱出に成功したという連絡を受けて、ようやくほっとした」と話した。

 この日までにアフガンのカブール空港からの脱出に成功した人は391人。このうち35世帯199人は、ソン教授が2010年から1年半にわたり病院長として働いていた韓国病院の同僚とその家族だ。同病院の建設と運営は、韓国がアフガン再建を支援するために2010年から現地で官民合同で運営してきた地方再建チーム(PRT)が、すべての責任を担っていた。PRTは職業訓練院などの様々な事業を運営し、仁済大学産学協力団は病院を委託されて管理していた。同病院は、総面積3000平方メートル規模の2階建てコンクリート造りの建物内に2つの手術室や30の病床などがあり、2015年6月30日まで運営された。

 ソン教授は「韓国の医療陣が25人、現地職員が韓国人スタッフの2.5倍規模で採用され、一緒に働いた」とし「手術と入院室の運営が可能な2次病院級を運営するには人数が少なかったし、まず患者食も求めることが困難という悪条件だった。しかし外交部、韓国軍、韓国警察団、KOICA(韓国国際協力)、米軍病院団と第62医務旅団、エジプト軍病院団が緊密かつ有機的に協力し、病院を運営してきた」と述べた。

ソン・ムンジュン教授がバグラム韓国病院で働いていた当時の様子=ソン・ムンジュン教授提供//ハンギョレ新聞社

 ソン教授はアフガンから帰国後、現地の同僚たちと連絡を取るため、フェイスブックをよく使うようになったという。秋夕(チュソク、旧暦8月15日の節句)が近づくと、バグラムで現地の同僚たちと共に韓服を着て文化交流イベントをしたことも思い出す。

 ソン教授は現地の状況について「タリバンの政権奪取前もアフガン人は、日が暮れたらいつでもタリバンに出くわして死ぬ可能性があるという恐怖の中で生きてきた」とし「そういった人たちが死の危険を冒して飛行機にぶら下がって脱出を試みるのを見て、本当にあそこに残れば生存できないと感じているんだな、脱出できなかったら終わりだと考えているんだなと思った」と述べた。そして「ある同僚は、アフガンを脱出できなければ妻はタリバンと結婚することになるだろうし、子どもたちはどうなるか分からないと、非常に具体的に切羽詰まった話をするので、本当に心が重かった」と付け加えた。

 ソン教授は現地滞在の経験を振り返って、イスラム文化圏に対して漠然とした恐怖と距離感を持つ必要はない、と語った。ソン教授は「アフガン少数民族の中にハザラ人という人々がいるのだが、彼らはモンゴルが征服戦争をした時にアフガンに残ったモンゴル人の子孫で、韓国の田舎のおじいさんたちとそっくりだ。アフガンには本当に文化的、歴史的背景の多様な人たちがいて、関心を持ってみると私たちと遠くない部分がある」と述べた。

 ソン教授は「私たちはトルコやエジプトに気兼ねなく旅行に行ったりするし、トルコの人々とは言語が似ているため、より親しみを感じるが、それらの国もイスラム圏」だとし、「今回、韓国にやって来るアフガン人たちは本当に数年間、私たちと再建事業を共にしてきた『特別功労者』だから、韓国社会は温かな心で迎えてほしい」と強調した。

チェ・ハヤン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/health/1009134.html韓国語原文入力:2021-08-25 20:56
訳D.K

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