ホッキョクグマが巧妙にセイウチ狩りをするという話はイヌイットの猟師の間で広く知られている。自分より3倍も大きく、巨大な牙を持つセイウチにむやみに襲い掛かるのは自殺行為だ。その代わりホッキョクグマは、セイウチが横になって休む間、近くの高台に登り、セイウチの頭を目掛けて石や氷塊を投げ、狩りをするという。
18世紀の探検家や博物学者がイヌイットから聞いて以来、1990年代まで200年以上続いたホッキョクグマの狩猟術に関するこの目撃談は、“神話”扱いされてきた。ホッキョクグマが変身の術を使うという話くらいの根拠のない話と見なされてきたのだ。
しかし、カナダのアルバータ大学の生物学者、イアン・スターリング氏などカナダ、米国、グリーンランドの研究者らは、これまで続く目撃談に根拠があるとみて、過去の直接・間接の目撃談と最近の文献と資料を探した。彼らは科学ジャーナル「北極」(Arctic )6月号に掲載された論文で「ホッキョクグマがセイウチ狩りをする際、道具を使うのは珍しいがあり得る話」だと結論付けた。
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とてつもない力に立ち向かうためのずる賢さ
最初の目撃談はグリーンランドで聖職者兼博物学者として活動したファブリシウスが1780年に書いた『グリーンランドの動物』に出てくる。「ホッキョクグマは特にアザラシとセイウチを攻撃するが、セイウチの力と巨大な牙にはずる賢さで立ち向かう。氷塊を握ってセイウチの頭に投げつけ、よろめいた時に襲い掛かる」と書かれている。
誰かから聞いたこのような話はその後も続く。しかし、同行したイヌイットの猟師から直接聞いた話も少なくない。横になっているセイウチの群れのそばにホッキョクグマが忍び寄って氷丘の上に上がった後、大きな氷塊を両手に持って、後足で立ってセイウチの頭を目掛けて投げてから、飛び降りて狩りをするという話がほとんどだ。
このような報告は1990年代末まで続いた。44年経歴の老練なイヌイットの猟師クワナクは、グリーンランド北西部でホッキョクグマが殺したばかりのセイウチを見つけたが、足跡や痕跡などから、近くで潜伏していたホッキョクグマが雌のセイウチの頭を氷塊で殴ったと推定した。隣には血のついた氷塊が置かれており、セイウチの頭蓋骨は割れた状態だった。
研究者たちは「ホッキョクグマのこうした狩猟行動について、240年間以上イヌイット猟師たちによる非常に類似しつつそれぞれ違う報告が続いている」とし、「数十年間イヌイット猟師と共に現場で研究した科学者として、彼らの野生動物に関する観察は非常に信頼性が高いと思う」と論文に書いた。
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両手でバスケットボールを投げるように
研究者たちは、ホッキョクグマと彼らの近い親戚であるヒグマは非常に知的な動物で、しばしば道具を使用するという事実をこのような判断の根拠として示した。大阪市天王寺動物園の5歳のホッキョクグマの雄「ゴーゴ」(現在はよこはま動物園で飼育)の行動はその事例だ。
当初、動物園側は単調な生活を豊かにするために、ホッキョクグマのプールから3メートル上に肉塊をぶら下げ、様々な道具でこれを取って食べるようにした。2010年から10年間続いてきた「エンリッチメント」プログラムで、ゴーゴは長い木の枝など様々な道具でエサを手に入れたが、最終的に最も好んだ方法は、硬くて丸い物体をまるでバスケットボールを投げるように両手で標的に正確に当てることだった。セイウチを目掛けて氷塊を投げる行動を連想させる。
研究者たちは、生態的条件もホッキョクグマが道具を使うように導いた要因だと説明した。セイウチは雄の場合体重が2000キログラム近くにもなり、皮膚の厚さも2~4センチであるうえ、頭蓋骨も厚い。アザラシのように簡単に殺せる対象ではなく、大きな牙に刺されて死ぬホッキョクグマもいる。研究者たちは「セイウチは大きく危険な獲物」だとし、「一部のホッキョクグマが狩りの成功率を高めるための解決策として道具の使用を思いついた可能性がある」と説明した。さらに「こうした道具の使い方が、世代を通じて伝えられたことも考えられる」と付け加えた。
気候変動により、ホッキョクグマは主食のアザラシ狩りがますます難しくなっている。しかし、セイウチはアザラシの代わりになるのは難しいものとみられる。研究者らは「道具を利用したセイウチ狩りはカナダ北極東部とグリーンランド南西部など一部地域だけで報告されており、狩の対象も主に子どもや幼い個体に限定される」と明らかにした。
引用論文: Arctic、DOI: 10.14430arctic72532