41年前、民主主義を守るために戒厳軍の銃弾に倒れた5月の光州民主化運動の英霊を慰めるため、光州市(クァンジュシ)の錦南路(クムナムロ)に喪輿(葬列で棺を運ぶかご)が登場した。光州市民たちは、民主化闘争で多くの犠牲者が発生しているミャンマーの人々を招待し、両国の犠牲者たちを共に慰霊した。
27日、光州広域市東区(トング)の錦南路一帯において、5・18拘束負傷者会の主幹で「第41周年5・18民衆抗争復活祭」が開かれた。復活祭は、1980年5月27日に旧全羅南道庁で戒厳軍と最後まで闘った犠牲者の精神を受け継ぐために、1984年から毎年5月27日に行われている。
この日の復活祭は、5・18団体の会員たちが錦南公園から5・18民主広場まで喪輿をかついで行進する「喪輿ソリ」公演を皮切りに、約2時間にわたって行われた。20あまりの挽章(死者を弔う句を絹地などに書いた旗)に先導された喪輿が錦南路に登場すると、市民たちはしばらく足を止め、犠牲者を追悼する黙祷をささげた。
野党「国民の力」のチョン・ウンチョン、ソン・イルチョン両議員は、18日に開かれた追悼祭に続き、復活祭にも招かれた。両議員は行事に先立ち、記者団に対し、「追悼祭と復活祭の両方に呼んでいただき光栄だ。5・18精神で国民統合が実現すればと思う」と述べた。
5月の英霊に杯をささげる祭礼には、国内に居住するミャンマー人たちが参加し、注目を受けた。アウンカインさんが両手を空に向かって広げ、ミャンマー民主化闘争の犠牲者のために祈ると、出席者たちも頭を下げて追悼した。
第41周年5・18民衆抗争記念行事委員会は、この日の復活祭で5・18週間の記念行事を締めくくった。
光州市のイ・ヨンソプ市長は「今年の記念行事は、コロナ危機の中でも光州の共同体精神を確認するきっかけとなった。この地の民主化のために身をささげたすべての方々に敬意を表したい」と述べた。