29柱の位牌が寂しい壇上に置かれた。遺影の中には、生涯ずっと建設現場で日焼けしたような浅黒い顔の中年男性も、二十歳を越えたばかりのあどけない顔の青年も目に付いた。京畿道利川(イチョン)の物流センター新築工事現場の火災で犠牲になった38人の労働者のうち、身元が確認された人々の顔だった。犠牲者のほとんどは、電気・塗装・設備・防水の分野の小規模下請業者の所属や、日雇い、移住労働者など、労働現場でも相対的に疎外された人々だ。犠牲者のうち9人はまだ身元さえ確認されていなかった。
30日の消防庁と警察などの説明を総合すると、同日午後4時時点で身元が判明した犠牲者29人の年代は、20代から60代に至るまで幅広く分布した。特に40代と50代、60代の労働者が8人ずつで、家族の生計に責任を負う家長が最も多かった。社会への第一歩を踏み出したばかりの20代の労働者も3人、働きざかりの30代の労働者も2人含まれていた。同日、利川市倉前洞(チャンジョンドン)の徐煕(ソヒ)青少年文化センターの室内体育館に設けられた合同焼香所の周辺で会った犠牲者家族と同僚の話を聞くと、犠牲者の中には固定の雇用を失った日雇い労働者が特に多かった。
犠牲者のKさん(49)の兄はこの日、ハンギョレのインタビューで「弟が通っていた工場が2月に新型コロナウイルス感染症(COVID-19)感染者が発生したために閉鎖した。それで仕事が必要で日雇いとして働くようになった」と語った。大学に入学したばかりの末っ子など子供3人を持つ家長だったKさんが、家計を維持するために急きょ求めた職場でこのようなことに遭ったため、悔しさはますます大きかった。「誰よりまじめで、何でも他人と分かち合っていた」と弟を偲んだKさんの兄は、「ここで亡くなった人々は皆、お金がない人だ」と言いながら悲しみに浸った。
被害者の中には、家族が共に被害に遭った人々がひときわ多かった。COVID-19などにより不安定な仕事を失った人々が増え、家族を連れて行ったと推測される。惨事被害者の家族が集まった暮加(モガ)室内体育館で会ったKさん(44)は、弟と妹婿がいずれも被害に遭った。3人兄妹の一番上であるKさんは、妹婿(35)が犠牲となった事実を確認したが、末の弟(31)はまだ身元が確認されていない。長い間ウレタン発泡作業をしてきた妹婿の作業現場に末の弟が一緒に出たという。Kさんは「釜山の電子製品売場などで働いていた弟は、ここで働き始めてから2週間しか経っていなかった。弟と妹婿はよく交流していて仲が良かった」と涙を飲んだ。
父(61)と息子(34)が共に惨事現場で被害に遭ったケースもあった。2階で設備工事をしていて飛び降りた息子は重傷を負って病院に運ばれたが、父はまだ身元が確認されていない。現場で会ったもう一組の犠牲者家族も「いとこなど家族の構成員2人が今回の惨事で犠牲になった」と語った。
犠牲者の中には3人の移住労働者も含まれていた。カザフスタンから来た2人と中国から来た1人だ。青島から兄弟のうちの一部が一緒に韓国に来て働いていたという犠牲者の家族は、「5人兄弟の末っ子を今回の事故で失った。末っ子は5月に結婚を控えていたが、COVID-19で先送りにしていた」と言ってすすり泣いた。