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「出産後はただの母親…キャリアは何の意味もありません」

登録:2019-11-14 02:50 修正:2019-11-14 08:29
60~70年代生まれの3人のキャリア断絶女性インタビュー 
工学部出身・保育士資格証は無意味 
雇用はほとんど短時間非正規職 
「私、梨花女子大出たの」笑われ 
ようやく職を見つけても「小遣い稼ぎ」扱い 
映画『キム・ジヨン』の解決策、ややロマンチック 
「家族の支援ではなく社会システムの変革こそ」
『82年生まれ、キム・ジヨン』の先輩キャリア断絶女性たちが6日夕方、ソウル麻浦区孔徳洞のハンギョレ新聞社で、出産後に元の職場に戻れずに非正規職として働く自分の人生について語り合っている=キム・ミョンジン記者//ハンギョレ新聞社

 イ・ミョンオクさん(50)は1997年に結婚し、2人の息子を生んだ。夫、2人の息子と京畿道議政府(ウィジョンブ)に住んでいる。結婚する時、大手建設会社の平社員だった夫はその会社の次長になった。ミョンオクさんはソウルの4年制大学を卒業して安定したドイツ系貿易会社に入社したが、結婚と同時に退職した。また戻ってくる機会が来るだろうと思った。夫は地方勤務の辞令を受けることが多く、8年間を週末夫婦として暮らした。ミョンオクさんが子育てを一手に引き受けた。子供たちが育ってからは塾講師のアルバイト、相談員など多くの非正規職を転々として、今はある小学校で、月90万ウォン(約8万3千円)で初等保育専門士として働いている。22年前に離れた職場に戻る機会はとうとう来なかった。

 結婚と出産によってキャリアが断絶した女性の現実に光を当てた映画『82年生まれ、キム・ジヨン』が幅広い共感を得て、公開20日後の13日に観客動員数が320万人を突破した。映画の中で30代の女性「キム・ジヨン」は復職に失敗した後、雑誌に寄稿し適性を生かすが、ついに会社に戻ることはできなかった。職場から離れたキム・ジヨンは、これからどんな人生を生きていくのだろうか。キム・ジヨンより少し先に結婚と出産、退職と求職の過程を経てきたキャリア断絶女性たちは答えを知っているのだろうか。ハンギョレは6日、キム・ジヨンより先にキム・ジヨンの人生を生きてきた3人のキャリア断絶女性たちに会い、彼女たちの人生の軌跡を振り返った。3人は、外資系の会社に勤めていたものの結婚でキャリアが途切れ、非正規職として複数の職場を経てきたイ・ミョンオクさん、公務員試験に備えつつ塾講師として働き、結婚・出産後に大手スーパーの鮮魚コーナーで働くようになったイ・ヒョンスクさん(45)、学校事務職として勤務し、今は幼稚園のケア専門士のチェ・ソンジュさん(54・仮名)だ。

映画『82年生まれ、キム・ジヨン』スチールカット//ハンギョレ新聞社

 映画の中でキム・ジヨンは国文学を専攻し、他の子供の母親たちも工学部を出たり演技を専攻したりしていたが、出産後は特に意味がなくなる。ただの「母親」だ。3人が経験してきた現実も大きな違いはなかった。政治外交学を専攻したミョンオクさんが言った。「映画を見て、私たちの世代であれキム・ジヨン世代であれ、キャリア断絶女性を見つめる視線はそれほど変わっていないことを知りました。出産したら学歴は何の意味もありません。ただ子供を抱っこしておんぶしておむつかばんを背負って歩けば、みんな同じ」。スーパーで働くヒョンスクさんも共感した。「映画の中のキム・ジヨンの人生を見て『激しく共感』しました。先日、スーパーで売り場に商品を並べていたんだけど、ある先輩女性が『私、実は梨花女子大出てるんだ』と言ったら、周りの人たちがみな笑うんです。それまでどんな人生を送ってきても、結婚・出産後は“バーコード”が同じになるんですから」。韓国社会は出産した既婚女性のことを、彼女の経歴とは関係なしに、ただの「子どもを産んだおばさん」と呼んでいるということだ。

 子どもを産んだ後、復職はもちろん安定した仕事を見つけることすら女性には難しかった。キャリア断絶女性に開かれた職業は、大半が短時間労働の非正規職だった。それなりに待遇のましな無期契約職は、資格を取って経歴を積んでからでないとありつけなかった。「私たちは『やりたいこと』ではなく『できること』を選ぶしかありませんでした。生活費を稼がなければならなかったので、求人があるという近所のスーパーに行き、そこが私の職場になりました」。外交官が夢だったというヒョンスクさんが語った。教師が夢だったソンジュさんは、子供たちが大きくなってから放送大学幼児教育科に進学し、幼稚園の正教師2級、保育教師1級の資格を取ったが、正社員になるのは容易ではなかった。

 かろうじて得た雇用を正当な労働ではなく「小遣い稼ぎ」程度に考える周囲の視線も、彼女たちを傷つける障害物となった。「私が働くスーパーには、私を含めて独立した経済生活を営んでいる女性労働者が多いのですが、社会は私たちを補助バッテリー程度に扱っています。家で子供の面倒を見ていて、お金が必要になれば出てきて稼いでくる程度だと考えているんです」。ヒョンスクさんが無念さを吐露すると、ミョンオクさんも「いつか息子が親を紹介した時『お父さんは会社に勤めてて、お母さんは家にいる』と言っていた」と打ち明けた。ミョンオクさんは、小学校の特技適性プログラムを手伝う「保護者放課後コーディネーター」として働く際、「月給」ではなく「奉仕料」を受け取ったとも語った。「私の仕事が労働ではなく奉仕だと思われてるなんて、プライドが傷つきました」。

 彼女たちは、夫や家族の配慮でキム・ジヨンが元の居場所を取り戻す映画『82年生まれ、キム・ジヨン』の解決策に不満を表した。ややロマンチックだというのだ。「家族の助力で独り立ちするような問題ではない。現実ではちょっとありえない“美化”された解決策ですね。社会システムを変え、一人ひとりが地道に声をあげていくべきだと思います」。ミョンオクさんが力を込めて言った。ヒョンスクさんも補足した。「82年生まれのキム・ジヨンの人生と60~70年代生まれの私たちが大きく違わないということは、私たちの子供の世代も似たような状況に直面し得るということじゃないですか。今の職場のあり方を変えなければ、将来私たちの息子や娘が育児休暇を取ったり、短時間労働でもまともな処遇を受けたりできないんじゃないでしょうか」

キム・ミンジェ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/916885.html韓国語原文入力:2019-11-13 17:03
訳D.K

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