「女で、とっても幸せ」
2000年代はじめに流行した、俳優のシム・ウンハがモデルで出た冷蔵庫の広告の文句だ。当時「家電製品は女性向け」という固定観念をそのまま反映したことも気に障ったが、何よりも「果たしてほとんどの女性が女に生まれて幸せだったことがあるのか」という疑問を抱いた。すっかり忘れていたこの広告の文句を先日、あるフリーの女性アナウンサーの『82年生まれ、キム・ジヨン』の感想で思い出した。「女性として暮らして十分もてなしを受け、幸せで楽しく暮らせることもとても多いのに、女性をすべて被害者のように描いているようで共感できなかった」という内容だ。
40代になった今、20年ぶりに自分自身に同じ質問を投げかけてみている。「女で幸せなのか?」。女性嫌悪の凶悪犯罪が後を絶たず、トイレの隠しカメラが幅を利かせている現実、それでも性犯罪にさらされると、どんな洋服を着ていたのかが話題に上げられ、時には被害者が「コッペム」(男を食い物にする女)に追い込まれる現実、子どもを産めばワンオペ育児とキャリア断絶に頭を悩まさなければならない現実、それらのすべてが変わらない限り、答えは「ノー」だ。
最近の映画を見ると、東洋と西洋を問わず、女性の立場から世の中は本当に変わらないということを改めて感じる。数日前上映された『ウーマン・イン・ハリウッド』の中で、フェミニズム映画の代表作『テルマ&ルイーズ』(1993)でアカデミー主演女優賞候補に上がったジーナ・デイビスは「この映画の後は多くのことが変わるかと思ったが、そうではなかった」と告白する。メディアジェンダー研究所を設立した彼女は、その後、客観的なデータを収集し数字としてハリウッドの性差別を証明する。毎年ハリウッドの興行作の上位10本のうち85%が男性作家の作品であり、1990~2005年の全体観覧可の興行作品の上位101本のうち、セリフのある配役の72%は男性の役割であり、アニメに出てくる魚や動物のキャラクターでさえほとんどがオスだというように。
女性として初めてベルリン・ニューヨークフィルハーモニーオーケストラを指揮したアントニア・ブリコの話を取り上げた『レディ・マエストロ』は、彼女が偏見の壁の高いクラシック界であらゆる苦難の末、指揮棒を勝ち取る執念の過程を描く。衝撃的なのは、「音楽専門誌『グラモフォン』が2017年に歴史上最も偉大な指揮者50人を選んだが、女性は誰もいなかった」という映画の最後の文句だ。映画の背景は1930年代だが、それから90年近く経った現在までもクラシック界の女性差別は大きく変わらないのだ。
映画が映し出す現実より、生の現実はより身近な怒りを誘う。ニュースを見ても「これは20年前に起ったことではないのか」と錯覚を起こすような話は溢れかえっている。2016年、公企業であるソウルメトロが「モーターカーおよび鉄道装備運転」分野の受験者のうち、最終合格圏に入った女性志願者6人の面接の点数を修正して不合格にした事実が監査院の監査結果で明らかになったり、「大田文化放送(MBC)」のアナウンサーが「16のMBC地域系列会社の男性アナウンサーは36人のうち31人(86.1%)が正社員だが、女性アナウンサーは40人のうち11人(27.5%)だけなのは性差別」だとし、国家人権委員会に陳情を出したというようなニュースだ。
もどかしいが、それでも幸いなのは、変化は常に現在進行形だということだ。映画『82年生まれ、キム・ジヨン』が封切りから18日目の9日基準で累積観客数300万人を突破したというニュースも、小さな変化の兆候の一つだ。『82年生まれ、キム・ジヨン』の興行突風は、作品を見もせずに評価テロをし、女性を「クンクァンイ」(“どしん”という擬態語からネットでフェミニスト女性を侮辱するスラング)と卑下する悪質な書き込みをしている一部の男性の「バックラッシュ」(社会・政治的変化に対する反発心理と行動)を軽く乗り越え、「女性の敍事」の現在的価値を証明している。それだけ20~30代の女性だけでなく、彼女たちの母、その母の母が経験してきた女性差別の歴史に共感と慰労を送る平凡な観客が多いという意味でもある。キム・ドヨン監督はハンギョレとのインタビューで、「『82年生まれ、キム・ジヨン』が昔のおとぎ話のように感じられる日を夢見ている」と述べた。変化の速度が「茶さじで山を移す」ことのように遅くても、私たちの娘たちの世代は少なくとも「女で不幸ではないその日」を生きていけることを切に願う。