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[インタビュー]「いまこそ“正義の死”記録する済州4・3記憶運動を」

登録:2019-04-08 09:47 修正:2019-04-09 20:55
「済州4・3平和賞」を受賞した作家の玄基栄作氏
今月1日、済州市済州KALホテルで「済州4・3平和賞」受賞者として記念記者会見をしている作家の玄基栄氏//ハンギョレ新聞社

 「記憶運動は冷戦勢力の大衆操作と大衆の無関心に対抗することです。4・3の真実を守るためには、絶えず振り返る再記憶の努力が必要です。言説や証言、証拠が絶えず喚起されなければなりません。これこそ忘却行為に抵抗する記憶運動です」

 1日、済州(チェジュ)4・3平和財団による「第3回済州4・3平和賞」を授与された小説家の玄基栄(ヒョン・ギヨン)氏(79)は、「4・3の記憶」が重要である理由をこう語った。玄氏は「4・3平和賞は、他のどの賞よりも私のアイデンティティを認められたようで、とても嬉しい。この賞は私が評価されて受けたというよりは、一緒に活動してきた後輩たちと一緒に受けたものだ」とし、後輩たちに花を持たせた。

「トリョン峠4・3解怨相生クッ」参加  
小説『トリョン峠の鴉』の舞台 
「この70年、慰霊すら十分にできなかった」 

3万人の無念な犠牲、“鎮魂”対策を提案  
国家賠償・教科書記録・再発防止  
「文化芸術作品で記憶の復元が切実」

 6日、済州市で開かれた「トリョン峠4・3解怨相生クッ」(巫女の儀式)で会った玄氏は「遅れた正義は正義ではない。この70年余りの間、私たちは亡くなった方々をきちんと慰霊すらできなかった」とし、「受難の地は鎮魂しなければならない。真に鎮魂するためには、彼らに被せられた濡れ衣を晴らし、正しく大韓民国の歴史に正義の死と記録されなければならない。そうして初めて3万人の魂が眠ることができる」と話した。トリョン峠は彼が『順伊おばさん』を発表した後、故ヒョン・ヨンジュン済州大学教授からのトリョン峠にまつわる4・3の体験を聞いて書いた小説『トリョン峠(マル)の烏』の舞台でもある。

 玄氏は1978年に済州北村里(プクチョンリ)大虐殺を描いた小説『順伊おばさん』を「創作と批評」で発表し、大学街や知識人らに4・3に対する関心を触発させたが、翌年、軍の情報機関に連行されひどい苦痛を味わった。『順伊おばさん』はその後、14年間禁書となった。4・3を素材にした自伝的長編小説『地上に匙ひとつ』(1999)も、国防部の不穏図書に選ばれる試練を経験した。玄氏は民族文学作家会の理事長、韓国文化芸術振興院長を務めた文壇の元老であり、済州4・3研究所初代所長(1989)と理事長、4・3 50周年・60周年・70周年記念事業委員会代表を担ってきた4・3真相究明運動の“象徴”のような人物だ。

 玄氏の故郷は済州市老衡洞(ノヒョンドン)のいわゆる“ハムバギクル”村だ。4・3時に村全体が焼けて跡形もなく消えた。彼は「済州島のいたるところに虐殺の跡が残っている。復旧できないまま燃えてしまった家がいたるところに散らばっている。人間と土地は一つなので、家が焼けてしまうと幼いころから自分の体の片隅が焼けてしまったような喪失感を抱いて生きてきた」と打ち明けた。

 玄氏は改めて記憶運動の重要性を強調した。「記憶運動の最大の障害物は、4・3を否定する冷戦勢力だ。独裁政権が退き、4月3日が国家追悼日に指定されたが、4・3の真実を否定して歪曲して攻撃する勢力がいまだに大きな影響力を行使しているのが現実だ。忘れたり、失われたりした事実を引き出す運動、社会的な集団的記憶をよみがえらせる記憶運動は続けなければならない」。

 彼は「3万の無実の魂を鎮魂するには、賠償もしなければならず、歴史にちゃんと書かれなければならない。二度とこのような惨事が起こらないようにするために記憶する事業を、引き続き展開しなければならない」と付け加えた。

 記憶運動はまず、歴史教科書にきちんと記録することから始めなければならないと彼は提案した。「国家の樹立過程で起きた4・3の大惨事は、韓国の歴史の大きな失敗であり恥辱だ。その失敗を歴代政権は暴圧的に隠ぺいしてきた。もう大韓民国の公式の歴史にその失敗まできちんと記録しなければならない。4・3の真実を正確に記録し、消された歴史を復元しなければならない。歴史教科書に、誇らしく成功した事例とともに失敗した歴史も残さなければならない。4・3の真実を教科書に載せ、国家を牽制し監視できなければならない」

 1987年の韓国社会の民主化運動後に展開した30年以上にわたる「4・3運動」について、彼は「下火になった」と苦言も投げた。「4・3のようなジェノサイド(集団虐殺)の歴史を済州島民と大衆に広く知らせるためには、芸術の役割が極めて重要だ。毎年4・3ごろに作品が発表される。だが、美術、文学、演劇など文化芸術全般が以前ほど熾烈な様子を見せられずにいる。文化芸術家らがよい作品を作り、目を背ける読者や観客を引きつけ、感動を与えなければならない」。大先輩として彼は後輩の文化芸術家たちにさらなる努力を呼び掛けた。

 「認められず罪人の濡れ衣を着せられた多くの無念の死と傷を、忘却と無名の闇から呼び出して鎮婚し、意味を与えること、死者だけでなく拷問と獄中生活で肉体と精神が崩れた人々のトラウマを慰撫すること、そしてそれが二度と忘却されないよう絶えず再記憶することを、今われわれが担わなければならない」

ホ・ホジュン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/889101.html韓国語原文入力:2019-04-08 07:33

訳M.C

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