「夫の遺体に向かって‘サランヘ(愛してる)’と言うことだけが願いです。」
セウォル号事故失踪者10人中の1人である京畿道安山(アンサン)檀園高校体育教師コ・チャンソク氏(40)の夫人ミンさん(36)は21日、法廷に立ち、切ない気持ちで夫を待ち続け真っ黒に焼けてしまった心境を涙で打ち明けた。 修学旅行に出発した日の明け方、家を出て行く夫に暖かい言葉の一言もかけられなかったことが今でも気にかかっていると話した。 ミンさんはこの日、光州(クァンジュ)地方裁判所刑事11部(裁判長イム・ジョンヨプ)審理で開かれたセウォル号船員裁判に証人として出席した。 コ教師は教え子の脱出を助けるために船内に入って失踪した。
全羅南道珍道のペンモク港で遺体が引き揚げられ人々が駆け寄るたびに夫ではないことだけを望んだ彼女は、「今は夫の骨片でも見つかり、幼い子供たちに見せてやりたい」と話した。 ミンさんは「君のパパは死んだの? 助かったの?」という質問に悩んだ子供から「本当にパパ見つからないの?」と訊かれるたびに「胸が張り裂けそうになる」と話した。 ミンさんは、母親までいなくなることを恐れる子供たちが「(船を)操縦していたおじさんたちはどうなったの?」と尋ねたことを話して涙をあふれさせた。 彼女は「船員たちは今でも犯行を否認している。 退船命令さえあったなら多くの人々が生きることができた。 セウォル号のような悲劇が二度と起きないよう必ず真実を明らかにしてほしい」と裁判所に訴えた。
セウォル号事故から生還した檀園高2年の女子生徒(17)は、裁判所に出した手紙を通じて友達を失った悲しみを切々と打ち明けた。 ある父母が代わりに読んだ生徒の手紙には「まだ家族にも言えない話」が含まれていた。 この生徒は船から脱出するために、ある友達と手を握って海に飛び込んだ時の辛い傷を思い起こした。 だが「潮流に巻きこまれて友達の手を放してしまい、気を失う直前まで潜っていて」海の上に出て来て「一人生き残った」と書いた。
「友達の手を離した瞬間と、水中で生きるためにもがいた瞬間、極限に達した海の恐怖、友達の悲鳴と泣き声」はトラウマになった。 この生徒は「海の上に出て来て息をした瞬間、友達は息をしていなかった現実」を受け入れられなかった。 「うなされて、船で(友達と)撮った写真を見れば、息もできず手からは汗がにじみます。 でも、皆に見つからないように堪えています」。生徒の手紙を読んだ父母は「大学に行ってお酒も飲んでみて、結婚式の時にお祝いの歌も歌い、夫婦の集いもして、子供を産んで…」という下りになると、しばらく読むことを中断して涙を飲んだ。
この生徒は「家族旅行も一緒に行って、50代のおばさんになったら海外旅行も皆と一緒に行って、老いておばあさんになれば、ほとんど同じ時期に一緒に命を終えようと話していた私たちの未来が、大人たちの過ちのために一瞬で消えた」と恨んだ。 「セウォル号事件を犯した彼らに正当な処罰を受けさせ、生き残った私たちがこれ以上世の中と法、大人たちを憎まないで済むようにして、友達に申し訳が立つようにしてほしい」という要請も忘れなかった。
この日、裁判所はイ・ジュンソク船長(68)ら船員15人に対する結審公判(27日)を控えて、失踪者・犠牲者家族および生存者など14人を証人として呼び、裁判所に言いたい話ができるよう配慮した。 証言が始まる前、4月16日以後6か月間の時間を撮影した映像に「17年という短い命を生きてきた子供たちの夢も海に浸りました。 夢でもいいから子供たちに会いたい」という内容が出てきた瞬間、すすり泣く声が法廷を埋めた。
一方、セウォル号事故国民対策会議はこの日、ソウル光化門広場の遺族座り込み場設置100日を迎え「416の約束を守る提案者宣言」を通じて、真相究明と‘安全社会’運動を行うと明らかにした。 記者会見に出てきた‘ユミンの父さん’キム・ヨンオ氏は「光化門座り込み場が忘れられつつあるようで、もどかしい。 私たち家族に頑張れという一言さえあれば、10年でも20年でも安全な社会を作るために最後まで戦う」と話した。