秋の日差しが強かった今月22日. 青瓦台近くのソウル清雲(チョンウン)洞住民センター前の座込み場には、相変わらずセウォル号遺族たちの姿があった。事故がおきて『0416』という一冊の本が完成されるまで5か月かかったが、変わったことはなにもなかった。この日、座り込み場を訪ねたチョン・ソック『ハンギョレ』編集人は、遺族たちに『0416』を手渡した。「本を読めば国民が皆さんの痛みを共感していることを知ることができるでしょう」と慰めた。
「とても辛くて辛いという言葉もまともにできませんでした。誰かが辛いという言葉を代わりに言ってくれることを望んでいましたが、そうして下さったのですね。ありがとうございます」とパク・ソンホ君のお母さんのチョン・ヘスクさんは本を手に取って笑みを浮かべた。
『0416』の始まりは“黄色い蝶々”の羽ばたきだった。セウォル号事故の衝撃が国中を覆っていた5月9日、ハンギョレ創刊株主の読者イ・ヨング氏(82)が新聞社を訪ねてきた。朝鮮戦争に参戦した勇士である彼は、26年間の軍生活を終え1976年に予備役に編入され、輸出企業の仕事をして国の“産業化”に寄与してきた。
80年代にはデモに通う息子を引き戻そうと意図せず出くわした現場で“民主化”も経験した。正しい国作りに寄与したいという自負心を持っていた彼にとり、セウォル号の惨事は耐え難い衝撃だった。「いったいなにが間違っていたのか、なにから始めたらいいのか?」という根本的な問いが、彼の頭の中を駆け巡った。 こうした行き着いた代案が、韓国社会が進まねばならない道を共に悩んで“文章を書くこと”だった。イ氏は文の公募と出版をハンギョレが引き受けてくれと1000万ウォン(約100万円)をそっと差し出した。
ハンギョレは臨時の企画編集チームを設けて「韓国社会の道を聞く」というテーマで文章を集めた。熱い悲しみと怒り、冷徹な分析と省察が綴られた文が次から次に到着した。“私たち”と“社会”を憂う心には年齢と空間の制約などなかった。92歳の元教師は震える手で強く押して書いた原稿を送ってきたし、14歳の中学生は母親の電子メールを使って文を送ってきた。ドイツのベルリンや米国のペンシルバニアに住む同胞も悩みに参加した。韓国と世界のいたるところからセウォル号後を心配する人たちの200編の文は、こうして集まった。
本にのせる原稿を選び出すのは出版の過程で最も難しいことだった。文の真正性と完結性、セウォル号事故との関連性、代案の現実性などを考慮し、企画編集チームでまず100編を選んだ。 コ・ミョンソプ論説委員、ムン・ヒョンスク文化・スポーツエディター、イ・ギジュン コンテンツ評価チーム審議委員が2次審査で苦心した末、合計59編を最終的に選定した。それらの文章は本の中で「忘れません、2014.04.16」、「人が中心だ」、「これからは参加と行動だ」、「共同体と公共性のために」という4つのテーマに分けられた。
本の提案者であるイ・ヨング氏は審査が終わった後、200編の文章を一字一句もらさず読んだ。 そして「感謝の文」でこう書いている。
「とても小さな身振りが偉大な歴史を成し遂げるという“バタフライ効果”が思い起こされます。私の小さな提案が皆さんの参加で一冊の本になり、その内容が多くの人の実践につながり私たちの社会の新しい道が作られるなら、10年後の私たちの未来は今とは全く違う姿になっていませんか? それが今私の希望であり夢です」
ハンギョレが先週出版した『0416』はオンライン書店と大型書店(教保文庫、永豊文庫、パンディ・アンド・ルニス)で購入することができる。収益金は企画趣旨に合わせ、さらに多くの人々がこの本を読めるように使う計画だ。
韓国語原文入力:2014.09.25 22:29