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民主的ファシズム体制・イスラエル【寄稿】

登録:2026-05-21 09:18 修正:2026-05-21 10:23
チャン・ソクチュン|出版&研究集団「サンヒョンジェ」企画委員
昨年9月3日、イスラエル南部と国境を接するパレスチナのガザ地区でイスラエル軍が戦車を走らせ、どこかへ向かっている/AP・聯合ニュース

 民主主義でありファシズムでもある体制などあり得るのか。これはあたかも、無生物でありながら生物であることがあり得るのか、と問うようなものだ。ファシズムの定義の中核は「民主主義の実質的破壊」だが、どうして「民主的」ファシズムなどあり得るというのか。

 しかし現在、地球上に存在するある国がこのような常識をあざ笑い、「民主的ファシズム」という新造語以外には表現できない状態へと突き進んでいる。国内制度は民主政治のかたちをとっているが、国境の内外では前世紀最悪のファシズム、すなわち、ドイツのナチズムが行った民族浄化を繰り返す国、イスラエルだ。

 国内の制度だけをみると、イスラエルは堅実な民主国家だ。この国は議院内閣制を採用しており、クネセト(国会)は全国を単一選挙区とする政党名簿比例代表制で構成される。このような選挙制度のおかげで、イスラエルでは10党以上の政党が院内で活発に活動している。

 戦争狂のベンヤミン・ネタニヤフ首相も、このような多党制の構図のもとで政治的曲芸を繰り広げ、なんとか右派連立政権を維持しているだけであり、決して独裁者ではない。たしかに、司法府の権限縮小を試みて、大規模な反対デモに直面したことはあったが、それでも、ネタニヤフ一家の腐敗に対する裁判所での裁判は毅然と続いている。野党は近く行われる総選挙で、このようなネタニヤフ首相を審判すると意気込んでおり、実際に政権交代の可能性が高い。

 これほどであれば、むしろ“模範的な”民主国家と呼ぶべきではないだろうか。しかし、この“模範的な”民主国家が、日常において、どのようなかたちで存立しているのかをみてみよう。イスラエルは地球上でほぼ唯一、確定した国境線がない国だ。1947年に国連が定めたイスラエル・パレスチナ分割線はあるが、イスラエルは1967年の第3次中東戦争でこの分割線を越えて占領地を拡大し、その後もヨルダン川西岸地区などで執拗に領土を少しずつ広げている。生存するためにはさらに広い領域を占める必要があるという考えがイスラエル社会では広く浸透しており、そのため、わざわざ国境を確定することなく、現在にいたるまで各地で軍事作戦、すなわち戦争を行っている。この点において、生存圏を確保する必要があるとして東に進軍したナチス・ドイツの姿を思い浮かべずにはいられない。

 ところで、はたして「誰の」生存圏なのか。当然、「イスラエル国民」のことだろうが、これは、普通の「国民」とは意味がまったく異なっている。成文憲法がないイスラエルにおいて、憲法に代わる基本法(1985年改正)は、イスラエルを「ユダヤ人の民主国家」と定めている。「ユダヤ人」国家であるため、ユダヤ人と認められさえすれば、世界各地からイスラエルに集まり、新たに確保された土地の主人になれる。また、「ユダヤ人」国家であるため、そのようにして確保された土地に先祖代々住み、アラビア語を使用する住民は、市民権を完全には認められていない。イスラエル国内ですでに人口の20%以上を占めるアラブ系住民のように二等市民として生活するか、あるいはヨルダン川西岸地区やガザのパレスチナ人のように、民族浄化の対象とされるしかない。

 このような体制にふさわしい名称こそ、まさに「民主的ファシズム」だ。制度は民主政治だが、そのような制度よりさらに根本的なレベルにおいて、民主主義の中核をなす普遍的な平等の原則、すなわち、他者も同様に平等な権利主体であることを否定して存立する体制は、そう呼ばれて当然だ。そして、このようなイスラエルの姿は、今後すべての民主国家が常にかえりみるべき「鏡」だ。気候変動や戦争の危機といった21世紀の試練のもとで、私たちはみな、「もう一つのイスラエル」になる危険と絶えず闘わなければならない。

//ハンギョレ新聞社

チャン・ソクチュン|出版&研究集団「サンヒョンジェ」企画委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1259595.html韓国語原文入力:2026-05-20 18:28
訳M.S

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