「あの時のあの判断」は、われわれにとってあまりにも複雑な意味を持つため、誰かがそれについて中途半端に言及するのを聞くと、抑えきれない怒りの感情が沸き上がる。イスラエルがイランに対し国際法的に正当化できない「予防攻撃」を敢行し、最高指導者アヤトラ・アリ・ハメネイ師を殺害したのは2月28日のことだった。それから6日後の5日、ラファエル・ハルパズ駐韓イスラエル大使は韓国の記者団に対し、次のように述べた。「イランに対して行動に移る際、1994年に朝鮮半島で起きたことを教訓とした。当時、国際社会が行動しないと決めた結果、北朝鮮は40~60発の核弾頭を保有することになった」。白昼堂々と自分たちが犯したおぞましい国際法違反を正当化するために、朝鮮半島が戦争の瀬戸際に追い込まれた1994年の第1次北朝鮮核危機の事例を持ち出したのだ。
米国も似たような見解を示している。ドナルド・トランプ大統領とピート・ヘグセス戦争長官(国防長官)は、「中途半端な開戦」によって世界のエネルギー物流の4分の1を担うホルムズ海峡が封鎖されると、イランの核という「差し迫った脅威」を除去するために攻撃を敢行したという弁解を並べ立てている。マイケル・ウォルツ国連大使は22日(現地時間)、米国CBSの番組に出演し、「(トランプ)大統領は、北朝鮮が完全な核プログラムを準備するのを待っていたクリントン政権とは違い、イランに対して行動に移り、核に進む動きを食い止めた」と述べた。「イランについては、1994年と同じ歴史的過ちを繰り返さない」。米国とイスラエルはそう主張しているのだ。
この主張はどの程度事実に合致しているのだろうか。2002年に核開発疑惑が浮上した後、国際社会による集中的な監視を受けることになったイランは、2015年7月に米国など6カ国と「包括的共同作業計画」(JCPOA)として知られる核合意に至った。イランがこの合意を非常に忠実に守っていたことは、死神より厳しい国際原子力機関(IAEA)と米国の情報機関のいずれもが認めるところだった。合意を一方的に破棄してイランに再び過酷な経済制裁を加えたのは、2018年の第1次トランプ政権だった。
第2次トランプ政権発足後、イラン核問題を外交的に解決しようとする努力が続いた。対話は今年2月に入り具体化し、米国とイランは「仲裁者」であるオマーンを介して、6日に第1次、17日に第2次、26日に第3次会談を終えた。イランがどれほど妥協的な姿勢を示していたのかについては、仲介したオマーンが詳しく証言している。オマーンのバドル・ビン・ハマド・アル・ブサイディ外相は2月27日、米国CBSのインタビューで、イランが「(濃縮ウランを)備蓄せず、IAEAの全面的な検証を受ける」ことに同意し、これは「イランは核爆弾を製造可能な核物質を一切保有しなくなるという意味」だと説明した。イランは3月2日に第4次会談が開かれると考えていたが、2月28日午前9時45分(イラン現地時間)ごろ、「壮絶な怒り」と名付けられた大規模な奇襲攻撃を受けることになる。
約30年前、韓国と米国が戦争ではなく対話を選んだのは、開戦後の最初の90日間で米軍死傷者5万2000人、韓国軍死傷者49万人、数えきれないほどの民間人犠牲者が発生するという恐ろしい予想結果が示されたためだ。同族を相手に「ソウルを火の海」「平壌(ピョンヤン)を火の海」という悲劇を引き起こすことが明白な2回目の賭けに出るわけにはいかなかった。金泳三(キム・ヨンサム)大統領は米国のクリントン大統領との深夜の電話会談で「歴史と国民に対して罪を犯すことはできない」と述べ、怒りをあらわにした。その直後、ジミー・カーター元大統領の北朝鮮訪問が実現し、北朝鮮と米国はその年の10月、ジュネーブ合意という成果を引き出すことになった。だれもが知っているとおり、この合意は8年後、米国が北朝鮮に高濃縮ウラン(HEU)開発疑惑を提起したことで破棄されることになった。
外交はわれわれを救うことはできるのか。最終的には「巨大な失敗」で終わってしまった北朝鮮核外交の現実を考えてみると、一時は堅固だった「楽観的な信頼」が揺らいでいるのは事実だ。しかし、自ら結んだ合意を簡単にくつがえし、相手の心に形容しがたい怒りと傷を負わせて手に入れる平和はどれくらい持続可能なのだろうか。米国とイスラエルがイランを攻撃した理由は非常に単純だ。それによって自分たちが受ける被害がほとんどないことを確信したからだ。それは「堂々とした勇気」ではなく、「吐き気がするほどの傲慢」であり、われわれの真剣な外交に対する「耐えがたい侮辱」でもある。
キル・ユンヒョン|論説委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )