最近は一日が一つの季節のように流れる時局なので、すでにかなり前の話のようにも感じられるが、つい最近まで拘束されていた尹錫悦(ユン・ソクヨル)前大統領がうそのように釈放され、「啓蒙令」のようなありとあらゆる詭弁(きべん)を吐き出していた頃、人に会えば彼らの目と息づかいには不安と混沌が満ちていた。その時に感じたもどかしさと無気力さは、これからもしばらく忘れがたいものになるだろう。それでも、その不安と暗たんたる気持ちの中でも最後まで信じていたのは、12月3日の戒厳の夜に国会に押し寄せた戒厳軍と、それに立ちふさがり、国会前を埋め尽くした市民の姿を、私たちの誰もが目撃したという事実だった。いわゆる「尹側」たちはありとあらゆる策略と憶測で記憶を揉み、ねじ曲げようとする。だが、窓を割って中に入っていく戒厳軍、国会に下りるヘリコプター、そして焦りの中で戒厳解除案を議決した議員たちなど、放送を通じて見た決して忘れえないシーンが、私たちの集合的記憶として刻印されているという事実は、最終的にあらゆる混乱は理に従って流れていくはずだという期待、かつ支えになっていたように思う。あのすべてのシーンが放送で中継されず、そのせいで私たち全員の12月3日戒厳の記憶として残らなかったとしたら、果たして憲法裁判所の決定はあのようなものになっていただろうか。そして、権勢を誇った尹錫悦夫婦は官邸を追われただろうか。
今月14日、尹前大統領の内乱裁判が開始された。12月3日以降、人々の日常を破壊してきた被告人に対する公判であるだけに、多くの関心が集中した。公判は名前そのものが公開された裁判を意味する。ローマ時代の公演場(arena)で裁判が行われて以降、あらゆる裁判は公開を原則とするということは、法の最も基本的な観念として定着している。ところがチ・グィヨン裁判長の法廷は、今回の内乱裁判の被告人に対して地下駐車場からの出入りを許すとともに、法廷撮影すらも異例にも不許可とした。過去に内乱罪容疑で起訴された全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領、盧泰愚(ノ・テウ)元大統領はもちろん、朴槿恵(パク・クネ)元大統領、李明博(イ・ミョンバク)元大統領に至るまで法廷撮影が許されたことと比較すると、尹前大統領の初公判での撮影不許可決定は常識的に理解しがたいものだ。
公開の原則とは、判決の当事者だけでなく、法廷への一般人の参加を認める直接的な公開性とともに、メディアを通じた多数の公衆に対する間接的な公開をも意味するものだ。もちろん、公開の原則が訴訟当事者の人格権やプライバシー保護のような基本権、または営業機密の保護やその他の法律的原則と衝突する時、公開について利益衡量することもありうるが、個人尹錫悦ではなく内乱罪の容疑者である公人尹錫悦を対象とする、私たち国民の誰もが事実上直接的な被害当事者といえる今回の裁判において、利益衡量がどちらに傾くかはあえて問う必要もないだろう。
韓国憲法109条は、裁判は公開を原則とすることを明示しつつ、一方で、国家の安全保障または安寧秩序を妨害したり、善良な風俗を害したりする恐れがある時は、裁判所の決定により公開しないこともありうると例外的な状況を規定している。では、今回の内乱裁判の公開は国家の安全と秩序を妨害するものなのだろうか。メディアは初公判後、被告人尹錫悦が90分を超える大演説をぶったにもかかわらず、裁判官に制止されることもなく、検察側も消極的な姿勢を示したと伝えている。それらのニュースに接する国民の立場からすると、ただでさえ拘束取り消し決定を下したため信頼できない担当法廷と公正性の疑われている検察が、果たして本気で裁判に向き合っているのか疑問に感じるのは当然だと思う。裁判を公開する理由はまさに、このような疑問を抱かれないよう世論の監視を許容することで法的手続きに対する国民的信頼を確保するためだ。法と制度に対する国民的信頼が土台になっていないと、私たちの民主共和国においては国家の安寧の保障などへりくつに過ぎない。
法廷で囚人服を着て背の後ろで手を取り合った全斗煥と盧泰愚、よろよろと壁を伝って法廷に向かった李明博、囚人番号をつけて法廷に出頭した朴槿恵。これらは誰に対しても法的正義が作動していることを信じさせてくれる公共の記憶であり、私たちが民主共和国に生きていることを確認させてくれる国への信頼の資産だ。チ・グィヨン裁判長の法廷が21日の2回目の公判で内乱首謀容疑の尹前大統領の法廷撮影をようやく許可したことを、遅ればせながら幸いだと思っている。
ホン・ウォンシク|同徳女子大学ARETE教養学部教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )