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大国は世界をどのように眺めているのか【寄稿】

登録:2025-03-19 07:33 修正:2025-03-19 09:18
キム・ジョンソプ|世宗研究所首席研究委員
2019年6月、日本で開かれた主要20カ国・地域(G20)首脳会談で面会したロシアのウラジーミル・プーチンと米国のドナルド・トランプ大統領/ロイター・聯合ニュース

 第1次世界大戦は1914年7月28日、オーストリアによるセルビア攻撃で始まった。正確には、1カ月前にサラエボで発生したオーストリアのフェルディナント皇太子暗殺事件に、セルビアの地下組織が関与したことに対する報復だった。紛争がそこで止まっていたとすれば、歴史の本には第3次バルカン戦争くらいで記録される可能性もあった。実際、暗殺事件の直後は、英国は弱小国のセルビアを支援することに消極的だった。英国のエドワード・グレイ外相は、セルビアの主権よりも欧州の平和の方が重要だと考えたが、これは「総じて小国は譲歩しなければならない」という英国外交の一般的な観点でもあった。小国が屈辱に耐えれば世界平和は維持できるという帝国主義的な発想だった。しかし、最終的に英国はフランスとロシアと手を結び、オーストリア・ドイツ同盟と衝突することになるが、これは英国が事態を欧州大陸の勢力均衡問題とみなしたためだった。セルビアはどうなろうと関係なかったし、オーストリアも問題ではなかった。ただし、ドイツの欧州掌握を阻止することは重要であり、この点で、英国の国益がフランスやロシアと結びついていると考えたのだ。

 1945年2月、第2次世界大戦の戦後処理のために開かれたヤルタ会談も、大国の地政学的思考を赤裸々に示した事件だった。当時、米国・ソ連・英国の指導者は、各自の勢力圏の構築を通じて戦後欧州の安定を企てようとして、「汚い」妥協をした。ルーズベルトとチャーチルが排他的な勢力圏を要求するスターリンに譲歩し、東欧をソ連に譲り渡したのだ。ヤルタの不名誉は、ソ連との新たな戦争を防止し、30年にわたり欧州の安定を確保したという点で、避けられなかった側面もあった。しかし、それによって欧州の半分がソ連の支配を受けることになり、半世紀にわたり東欧は共産主義独裁に苦しむという結果がもたらされたことも事実だった。チェコスロバキアとポーランドに対する法的・道徳的な義務を裏切ったものであり、安定のために弱者を犠牲にする大国外交の標本だった。さらに、チャーチル首相は1944年10月、スターリンとのモスクワ会談で、悪名高い「パーセント交渉」を行ったりもした。ソ連と英国が東欧諸国を分配する影響力を数字で議論し、ルーマニアは9対1、ハンガリーは5対5、ギリシャは1対9とするものだった。英国の関心事である地中海とインド洋の保護のために、バルカン地域でロシアに譲歩する取り分を駆け引きしたのだ。

 2025年2月から急速に進んでいるウクライナ終戦の議論が、国際社会に強い衝撃を与えている。米国のトランプ大統領は、戦争の当事者であり深い利害関係者であるウクライナと欧州を排除したまま、ロシアとの談判形式で終戦を押しつけている。終戦交渉の枠組みもこれまでの西側の政策基調とは大きく異なる。ウクライナの北大西洋条約機構(NATO)加盟と戦争後に失われたウクライナの領土回復の可能性を断ち切ることによって、事実上ロシアの立場に同調しているかたちだ。ウクライナ終戦の議論は、第2次世界大戦後に続いてきた自由主義覇権外交の終末を象徴する。トランプ政権は、いまやNATO拡大のような自由主義拡大のプロジェクトには関心がなく、ウクライナがロシアの勢力圏であることを明確に認め、手を引いている。代わりに、グリーンランド購入やパナマ運河の統制権など、米国の利権を主張することに躍起になっている。まさに、大国が露骨な手法で自分たちの国益をどん欲に追求し、妥協と取引が並行する大国の勢力均衡秩序に突入しているのだ。あらゆる面で、第2次世界大戦後の80年は長い歴史の例外的な時期であり、現在は国際政治が本来の素顔をみせる時期でもある。

 このような国際秩序の大転換は、韓国外交にも根本的な省察を要求する。価値外交や自由主義と権威主義の対決などといった思考にとらわれている時期ではない。バイデン政権のときでさえ、このようなスローガンは西側の地政学的な利益を追求するために動員されたレトリックに過ぎなかった。優雅な偽善の時代は去り、正直な野蛮の時代が来たという表現は、これを指す言葉だ。混沌の時代を生きていくには、まずは大国が世界をどのように眺めているのかを洞察すべきだ。善と悪、正しいか正しくないかといった規範的な思考を越え、国際政治がいかに危険なゲームかを理解することが出発点だ。特に、地政学的な断層線に位置する韓国にとっては、これは死活問題だ。トランプ大統領は異端児かもしれないが、彼が呼び覚ます国際政治的な教訓は、単なる型破りや逸脱として片付けてはならない。

//ハンギョレ新聞社

キム・ジョンソプ|世宗研究所首席研究委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1187461.html韓国語原文入力:2025-03-18 08:58
訳M.S

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