中国の人工知能(AI)企業の「ディープシーク」(DeepSeek)が、米国のオープンAIやグーグルのような競合企業に比べ圧倒的に安い開発費用で、AIモデル「R1」を公開した。米国は、旧ソ連が米国に先立ち世界で初めて人工衛星「スプートニク」の発射に成功したときのような衝撃を受けた。
ディープシークはAIモデルとコードを無料で公開している。一方、トランプは2期目の任期初日に、バイデン政権の「安全かつ信頼できるAIの開発と使用に関する行政命令」の取り消しを命令した。これは、新技術の封建領主たちが、公共の統制を受けることなく、強大な力を振り回せるようにする試みだ。
ディープシークは、天安門事件や台湾に関する敏感な内容をリアルタイムで検閲するという批判を受けている。では、いわゆる自由な社会に生きるわれわれは、中国に比べてどれほど自由なのかについても、質問を投げかけてみよう。もちろん、直接的に禁止されたテーマははるかに少ないだろう。しかし、われわれのデジタルメディアの経験は、完璧に自由な経験として取り繕われているという点で、さらに危険だ。ディープシークが天安門事件に対する質問に答えを出せないとき、われわれは少なくとも自由の限界を認識することになるが、われわれのメディアでの経験ではこのような限界は表面化しない。
ディープシークをめぐり相反する価値観が同時に存在するアンビバレンス(両価性)について、われわれは、自らについて徹底して省みざるをえない。中国が、消費者に自由を与えることなく自由市場を構築できることを、共産主義の下でも資本主義が繁栄できることを、思想の自由がない社会でも技術革新を起こせることを示しているからには、民主主義について確固たる信念を持つわれわれは、根本的な質問に向き合う必要がある。
この問題について、われわれは米国と中国の両方に批判的でなければならない。グローバル資本が互いに闘争する状況の下で、われわれは、どちらか一方の側に立つ代わりに、これらの関係を戦略的に徹底して利用しなければならない。たとえば、検閲という問題を抱えている中国を、帝国主義に対抗する対象として過度に信頼することには警戒しつつ、中国がAIを商品化しようとする米国とは反対の方向に向かうことについては無条件に支持しなければならない。驚くべきことに、AIについて小規模で躍動的な資本主義ベンチャーの側に立っているのは、巨大企業の新封建主義を支援する米国ではなく中国だ。このような点で、中国は米国よりさらに真に資本主義的であり、ディープシークを市場外で無料提供するという点で、社会主義の原則にも忠実だ。
しかし、ディープシークの影響力は限定的だ。ディープシークは、企業がデジタルプログラムを商品化し、これを販売することで大きな収益を創出する伝統的な手法には支障をきたすだろうが、新技術の封建領主たちの支配にはいかなる影響も及ぼさない。たとえば、ジェフ・ベゾスのアマゾンは、利用者がサイトを閲覧して買い物をするうえで必要なAIプログラムを無料で提供しているが、その代価として個人情報を収集し、それを活用することで購入に関する個人の意思決定を、利用者が識別できないかたちで統制する。
このように、AIプログラムの脱商品化は、たとえそれがわれわれの知っている資本主義から一歩離れるものであっても、逆説的に、究極的にはむしろ新封建領主たちの支配を強化する。この問題を解決することを望むのであれば、われわれは、マルクス主義的な執着に陥って政治から性に至る人生のすべての領域を商品化の観点から接近してはならない。少なくとも商品化は、個人が自由な行為者として、市場で自身が直接選択したものを購入できるようにするではないか。真の解決策は、デジタル・プラットフォームに対する社会的統制と完全な透明性を確保すること、すなわち、われわれに無料で提供されるものなどに対する民主的な統制権を確立することだ。
スラヴォイ・ジジェク|リュブリャナ大学(スロベニア)、慶煕大学ES教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )