韓国は危機なのか。各部門をいちいち取り上げなくても、危機であることだけは明らかにみえる。だから、ある人は「複合危機」、「多重危機」と表現する。さまざまな危機が次々とつながることで悪循環を作ってもいる。出口も処方もこれといってない現実を見つめつつ、世界的な碩学(せきがく)、ジャレド・ダイヤモンドの言葉を思い出してみる。彼は「危機とは、一般的な対処法や問題の解決法では克服できない重大な挑戦に直面している状況」だとし、このような危機を突破するには「選択的変化」を追求しなければならないと力説する。
「選択的変化」という言葉には、私たちは選択することができ、選択すれば意味ある変化を作り出すことができる、という意味が内包されている。どのような選択があるだろうか。私は、韓国社会と政界が真剣に討論しうる議題として「有事の際の武力統一の排除」をあげたい。聞きなれない言葉かもしれないが、私たちがこのような選択をすれば、多様で有益な変化が期待できる。
なぜこのように考えるようになったのかから話してみようと思う。理由は大きく分けて3つある。1つ目は、敵対的な方向へと突き進んでいる南北関係の危機。2つ目は民生、不平等、人口消滅などの韓国内部の危機。3つ目は、気候災害に代表されるグローバルな危機。これらの危機は互いにつながっている。だからこれらの危機を克服するためには、融合的思考にもとづいた選択的な変化が必要だ。有事の際の武力統一の排除は、万能薬にはなり得ないとしても、公論化してみる価値は十分にある。戦争や「北朝鮮急変事態」が発生すれば武力で統一を果たすという軍事戦略は、平時においても莫大な人的、物的資源の投入を招いており、気候生態問題にも悪影響を及ぼすからだ。
では、有事の際の武力統一論はいつ作られたのだろうか。李承晩(イ・スンマン)政権は朝鮮戦争後も「北進統一」を国是として掲げていたが、戦時作戦統制権が国連軍司令部(米国)に握られていたため、それは虚像に近かった。そして米国が作った作戦計画は、1990年代初めまでは朝鮮が武力侵攻してきた際の防衛、撃退、報復に限定されていた。戦時武力統一論が作戦計画に組み込まれたのは1998年だった。当時の金大中(キム・デジュン)政権は、対北朝鮮政策の原則のひとつとして「吸収統一の排除」を明確にしていたが、韓米連合司令部の作戦計画5027-98にはこのような内容が組み込まれた。その後の韓国政府の変化とは関係なしに、有事の際の武力統一論は具体化、強化されていった。果ては文在寅(ムン・ジェイン)政権の「国防改革2.0」もそうだった。金正恩(キム・ジョンウン)委員長が「(吸収統一を試みたのは)『民主』を標榜しようが、『保守』の仮面をかぶっていようが、少しも変わるところがなかった」と主張したのには、まったく根拠がなかったわけではない。だから、有事の際の武力統一の排除が南北関係と朝鮮半島情勢にどれほど肯定的な影響を及ぼすかというのは、良い討論の議題になりうる。
より確実に期待できる効果は韓国そのものにある。韓国が依然として50万に達する大軍と徴兵制を固く守っていることには、有事の際の「北朝鮮の占領および安定化作戦」には兵力が約40万人要るという軍事的必要性が主に作用している。また、今年60兆ウォン(約6兆8800億円)に達する国防費のかなりの部分も、有事の際の武力統一の完遂に必要な武器、装備、訓練、部隊運用に費やされる。これは、韓国が武力統一論を排除すれば、兵力と国防費の削減が可能になるということを意味する。兵力を30万以下に減らすとともに、志願制を魅力的なものにすれば、社会経済的不平等、ジェンダー対立、労働可能人口の急減などの韓国社会の様々な問題の緩和や適応に貢献する可能性がある。国防費の削減で浮いた分を教育、保健医療、新再生可能エネルギー、インフラ分野に使えば、防衛産業よりも卓越した雇用創出効果が見込める。
グローバル危機の核心である気候問題への対処にも効果がある。1機の戦略爆撃機の1時間の炭素排出量が自動車1台の7年分に相当するほど、軍事部門の炭素排出量は膨大だ。有事の際の武力統一の排除は、圧倒的な世界最大規模のものとして実施されてきた韓米合同演習を含む軍事活動の大幅縮小につながり、その分だけ炭素排出も減らせる。
安保を無視した発想に聞こえるかもしれない。しかし、有事の際の武力統一を排除したとしても、外部の脅威に対処する効果的な抑止能力を備えることはできる。人口急減時代には、徴集率を高めて兵力を満たせば満たすほど管理の負担も重くなる。何よりも有事の際の武力統一の対象である朝鮮は「貧困と孤立から脱皮する核保有国」となっており、同盟国である米国は日増しに米国人が血を流す戦争から手を引こうとしている。朝鮮と米国が大きく変化しているなか、韓国が有事の際の武力統一論にこだわることにいかなる実益があるのか、自問すべき時に来ている。また、それを排除することでいかなる実益があるのかを討論すべき時に来ている。