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[パク・ノジャ コラム] 南北関係,そして隣人愛の意味

原文入力:2010-04-26午後08:40:59(1677字)

←パク・ノジャ ノルウェー, オスロ国立大教授・韓国学

この頃、南北関係関連の便りを見るにつけ全身に鳥肌が立つ思いだ。韓国,北韓どちら側の言動を見ても最小限の責任意識を見つけられない。

国際基準を無視した北韓の韓国不動産没収,凍結政策は一種の "自殺ゴール" と見る。投資家の資産にそのように対するならば果たしてどこの国の投資家が北韓にとって生命のように必要な金を投資するだろうか? そうでなくても西側言論で対北韓悪宣伝があふれているのに、北韓がむしろ非難者などに自ら "助け" をあたえる格好になる。

それでも、東北アジア最貧国である北韓の事情改善にとって切実に必要な観光再開をずっと先送りし経済協力より‘核問題’を優先視し、過去政権の各種約束を事実上破棄した韓国政府の態度は果たして信用と責任の態度か? さらには今、韓国内一部極右派が‘天安艦’の悲劇を反北韓宣伝に利用しようとしているのは無責任の極限状態といえる。

一般犯罪容疑者に対しては "無罪推定" の原則を適用する法治国家で "北韓攻撃" のいかなる確証も出てくる前に‘北韓関与説’を振りかざし‘報復’を叫ぶのは、北韓にだけ‘有罪推定’を適用するという話ではないだろうか? 結局、山積した経済問題を解決する能力がない韓国,北韓双方の支配者らが被支配者の怨恨を隣国に対する敵対心に回し権力維持だけに汲々としているということが筆者に残る印象だ。

南側居住者の間で、対北韓敵対心を扇動しやすい理由は北韓の際立って見える "他者性"のためでもある。韓国思想史の流れの中に北韓の主体思想を位置づけようとすれば、衛正斥邪(正義のために邪を排斥)論と東道西器(訳注:日本で言えば和魂洋才に相当)論的近代の選別的受け入れ,そして初期のシン・チェホを彷彿とさせる血統主義的民族主義の複合的折衝の結果と見なければならない。その二分法性と排他性があまりにも強くキューバのカストロ政権ならば条件付きで好意的に見ようとする欧米左派までも北韓はほとんど消化することのできない状況だ。

そこに朝鮮時代式権力世襲問題と個人人権を事実上、二次視する国権主義的思考などまで加味されるので、韓国の若い世代間でもこれに対する拒否反応で反北韓意識が簡単に広がる。ところで果たしてこの反北韓意識を保守層結合イデオロギーにして政権維持用に利用するのは未来指向的態度か? 西欧人らに納得できないこともあるが、韓国人ならば反外勢民族主義の訴求力をよく感知するだろう。

民族自尊のように訴求力の強いスローガンを前に出す政権と対決すると言っても、簡単に押し倒すことができると考えるのか? もし押し倒せたとしても、その遊民らが韓国の新自由主義的体制に成功的に吸収されると見るのか? たとえ難しくとも消耗的対決と2000万北韓人らが韓国の疎外層になる途方もない悲劇を防ぐためには、北韓に謙虚に近寄り その他者性を克服してみることが唯一の方法だろう。

ソウルを神様に奉献すると言った大統領をはじめとして、韓国支配層の相当部分は自身の宗教を‘キリスト教’と言う。イエスを信じると言いながら、なぜイエスから隣人愛を学べずにいるのか? 隣人愛とは優越的立場で行う慈善行為ではない。隣人が自分と違っても、自分のようになれとは要求せずに、ありのままに受け入れ その喉の渇きから解き放ち、その空腹から解決し順次互いに一つになるのがイエスと同じ愛だ。友人よりも、むしろ自分と怨恨が積もった人を尊重し、ありのままを受け入れ愛さなければならないというのがイエスの論理だ。
日曜日ごとに聖書を読む韓国の多くの支配者たちは、対北韓発言をする時にその考えをなぜできないのか?

パク・ノジャ ノルウェー,オスロ国立大教授・韓国学

原文: https://www.hani.co.kr/arti/SERIES/68/417855.html 訳J.S