「(日本)政府内において事実関係を把握する記録は見当たらない」
関東大震災100年を2日後に控えた先月30日、日本政府の松野博一官房長官は「関東大震災当時、デマで多くの朝鮮人が日本の軍警、自警団により殺害されたと伝えられていることに対する政府の立場」を尋ねる質問にこのように答えた。日本政府は、1923年9月1日の関東大震災の際に発生した日本の軍警と自警団による朝鮮人虐殺に対する責任を追及されるたびにこの答弁を繰り返してきた。日本の国会でも、2015年に神本美恵子前議員をはじめ野党議員がこれまで8回質問書を提出したが、日本政府は毎回、記録が見当たらないという答弁書を出すばかりだった。
しかし、日本政府のこうした答弁は受け入れがたい。内閣府傘下の中央防災会議は2009年3月、「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書-関東大震災 第2編」を発表した。同報告書の第4章第2節「殺傷事件の発生」には、朝鮮人虐殺について詳しい内容が載っている。「関東大震災時には、官憲、被災者や周辺住民による殺傷行為が多数発生した。武器を持った多数者が非武装の少数者に暴行を加えたあげくに殺害するという虐殺という表現が妥当する例が多かった。殺傷の対象となったのは、朝鮮人が最も多かった」として「殺傷事件による犠牲者の正確な数は掴めないが、震災による死者数の1~数パーセントにあたり、人的損失の原因として軽視できない」と記されている。報告書には具体的な当時の根拠史料として、東京都公文書館所蔵の「関東戒厳司令部詳報」の「震災警備ノ為兵器ヲ使用セル一覧表」などを挙げた。この史料は戒厳司令部が陸軍各部隊からの報告に基づいて作成したもので、軍によって「11件53名の朝鮮人殺害が記録されている」などと記されている。同報告書を出した「災害教訓の継承に関する専門調査会」を設置した中央防災会議の会長は日本の首相であり、日本の内閣府は「内閣の重要政策に関する会議の一つ」と説明している。
しかし、松野官房長官は先月31日の定例ブリーフィングで、日本政府が設置した中央防災会議が出した同報告書について、以前から国会質問や質問書に対して(日本政府が)答えてきたように「(報告書は)有識者が執筆したものであり、政府の見解を示したものではない」として返答を避けた。日本政府は、2018年に有田芳生議員が兵器使用一覧表を具体的に指摘し質問書を出すと「お尋ねの『調査表』は、調査した限りでは政府内に見当たらないことからお尋ねについてお答えすることは困難」だと回避したこともある。
日本の市民団体「関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会」は4日、「朝鮮人145人虐殺」の加害者の名前まで書かれた日本の公文書を公開し、ハンギョレもこれを報道した。松野長官は同日午後に開かれた定例記者会見で、この公文書の存在を指摘すると「承知していない」と述べるにとどまった。
韓国政府も100年という重要な契機が訪れたにもかかわらず、日本政府に真実究明を要求しなかった。それどころか韓国の政府与党は、野党議員が総連(在日本朝鮮人総連合会)が日本の市民団体と長い間一緒に主催してきた朝鮮人虐殺追悼会に出席したことを問題視し、「理念攻撃」を持ち出した。そうして虚しく100年が過ぎていっている。