去る8月24日、岸田文雄内閣は東京電力福島第一原発で発生する放射性物質を含む水の海洋放出を開始した。この水を、日本政府は、多くの放射性物質を含む危険な状態から多核種除去装置(ALPS)によって無害なトリチウムのみを含む状態にしたことを理由に、処理水と呼んでいる。これに対して、2018年、共同通信は、処理水にトリチウム以外の放射性物質が含まれていることを明らかにした。FoE Japanという環境NGOは、今回の海洋放出に抗議する声明の中で、次のように指摘している。
「東電は、トリチウム以外の放射性物質が基準を超えている水については、「二次処理して、基準以下にする」としているが、どのような放射性物質がどの程度残留するか、その総量は未だに示されていない。それどころか、東電が詳細な放射能測定を行っているのは、全体の水の3%弱に相当する3つのタンク群にすぎない。」(同団体ホームページより)
政府が処理水の安全性を強調する際に、この疑問に答えたのかどうかを明らかにする報道は、管見の限り見当たらない。科学的根拠を主張するなら、東電の言う二次処理の実態を明らかにし、放出する処理水が基準以下の放射性物質しか含まないことを証明すべきである。
原発に関連する政策判断が政治問題になることは、やむをえない。それにしても、今回の処理水放出は、日本政府の信頼性をめぐる評価の違いをあぶりだし、東アジアにおける安全保障面での緊張も重なり、大きな国際問題になっている。また、一部の国の強い反発は日本国内でナショナリズムを煽る効果をともなっている。
放射性物質を含む水を安全に処理するという技術的な問題をはるかに超えた紛争を鎮静化することは、日本政府の責任である。そもそも、自国の原発の大事故に起因する処理水を太平洋に流すことは、情報公開と説明を十分に行ったうえで、世界各国に向かってお詫びをしながら行うべきことである。処理水の安全性に加えて、より地球に迷惑をかけない他の方法がなかったのかなどの論点について、様々なシミュレーションを行ったうえで、世界に対して説明するというのが、岸田首相がいつも言う「丁寧な」説明であるはずだ。たとえば、日本の民間団体、原子力市民委員会は、汚染水をセメントと砂でモルタル化し、半地下の状態で保管するというモルタル固化処分案を提案した。この方法は、アメリカで実用化された例もあり、実現可能性はあるはずだが、政府はこの提案を無視した。本当に世界各国の信頼をえなければならないという真剣さは感じられない。
処理水放出に関する日本の漁民や外国の人々の不安の原因の1つは、この放出がどれだけ長期にわたって続き、どれだけの量に達するか、終わりが見えないという点にあると思われる。政府は福島第一原発の廃炉を目指すという方針を取っており、廃炉作業の過程で次々に生まれる汚染水を貯蔵することが限界に近付いたから、処理したうえで海に流すという政策を取った。放出開始の8月24日、西村康稔経済産業相は「廃炉に向けた大きな一歩を踏み出した」と述べた(時事通信)。
しかし、廃炉とはいかなる状態を意味するのか、廃炉までにどれだけの年月がかかるのか。東京電力のホームページでは、廃炉という言葉を次のように説明している。
「事故を起こした福島第一原子力発電所の『廃炉』の最終的な姿について、いつまでに、どのような状態にしていくかについては、地元の方々をはじめとする関係者の皆さまや国、関係機関等と相談させて頂きながら、検討を進めていくことになると考えています。」
つまり、東電自身が廃炉の具体的意味を理解していないのである。そして、廃炉が完了するのは2050~60年頃としている。
終わりが見えない廃炉に向けて大きな一歩を踏み出すとは、どういうことなのか。処理水の放出が廃炉のために付随する作業であるなら、これから数十年にわたって放出が続くのではないかという不安に、政府は答えていない。処理水放出が国際問題となったこの機会に、岸田政権は福島第一原発の決着のゴールと道筋について、日本国内のみならず、世界の人々に分かるように説明しなければならない。
山口二郎|法政大学法学科教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr)