154万7200ウォン。
5~6年前に大学を休学して放送局の非正規職員として働いていた時に受け取っていた月給だ。当時は6000ウォン台だった最低賃金に多少色を付けてもらった金額だった。すべての経験に得るものがあると思っていた20代前半、初めて受け取った月給は不思議に感じるばかりだった。もちろん不思議さが食べさせてくれるわけではなかった。妹と同居していた家の家賃も払わなければならなかったし、ご飯を食べたりコーヒーを飲んだり買い物をしたり、恋愛もしなければならなかったわけで、本当に現状維持が精一杯だった。貯金など遠い話で、仕事を辞めて復学した時、私に残されていたのは本当に経験だけだった。
これが私の最初の最低賃金の記憶だ。その水準がどのように決定されるのか、自分がそれほどのお金を受け取るのが適切なのかも分からなかったし、実際のところ真剣に関心を傾けてもいなかった。単に10ウォン単位で決められていたため、私が労働者として受け取るべき最適な金額として精巧に決定されたはずだと、漠然と信じていただけだ。
来年の最低賃金が今年より2.5%増の9860ウォン(約1082円)に決まった。私は労働担当記者として、3月31日に雇用労働部長官が最低賃金委員会(最賃委)に審議を要請し、5月2日に最初の最賃委が開かれ、6月29日に本格的な最低賃金の水準をめぐる議論が始まり、19日に最終決定に至るまでの過程を取材し、最低賃金が決まる過程を詳しく観察することができた。
労働者側は来年の最低賃金の最初の案として1万2210ウォンを、経営者側は9620ウォン凍結案を提示した。最初は2590ウォンという大きな差をどのように埋めていくのかに注目した。しかし、思ったより過程が単純で驚いた。公益委員は「合意」に至らなければならないとして修正案を要求し続けた。実に11回。労働者側は最初の提示案から2210ウォンを削って1万ウォンとし、経営者側は10ウォンずつ、20ウォンずつ引き上げ、最終的に240ウォン増の9860ウォンを示した。その過程で実態生計費、物価上昇率、300人未満の企業の労働者の賃金総額上昇分、経済成長率の見通しなどの様々な数値が行き交ったが、精巧な根拠のようなものはなかった。公益委員たちも同様だった。公益委員の仲裁案の根拠は「労使双方の10度目の提示案の中間値」だった。14回目の会議で公益委員が提示した審議促進区間(9820~1万150ウォン)の根拠もやはり明確な基準はなく、毎年ばらばらだ。議論が110日間も行われたのは最長記録だというが、実状は最後の1カ月間で滞っていた宿題をやっつけるように決定された、と考えるのが妥当だ。
結局、今の私は5年前と同様、9860ウォンがなぜ来年の最低賃金なのかがまったく分からない。あらゆる手続きと数字が提示されたものの、それらは客観的な根拠や計算によって導出されたものではないからだ。これこそ、法が定める基準がきちんと反映されているのか、根拠として提示される数値は客観的なのか、毎年の最低賃金を議論する過程で似たような問いが繰り返される理由だ。「精巧に計算された結果だろう」という漠然とした信念は撤回したのだから、何がしか学んだものはあったわけだ。
最近、低賃金労働者に関する企画記事の取材の過程で出会った労働者たちは「ご飯を食べたり果物を買ったりする時に心配しないで済むくらい」の平凡な生活を送るためには、来年の最低賃金は1万2000ウォンほどにしなければならないと言っていた。ここ数年間、物価上昇率にも及ばない最低賃金引き上げで、実質賃金は下落してきた。公共料金の引き上げなどで来年も何かと物入りだ。「経験」ではなく「暮らし」のために働く人々に、来年の最低賃金9860ウォンは何を残せるのだろうか。
チャン・ヒョヌン|労働教育チーム記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )