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[徐京植コラム]平和は束の間の「休戦」に過ぎない

登録:2023-04-14 07:19 修正:2023-04-14 08:04
そんな時にぜひ再読すべき書物として、私の念頭に繰り返し浮かぶのは、プリーモ・レーヴィの『休戦』である。レーヴィは『これが人間か』という作品で知られるアウシュヴィッツの生存者であり、戦後の世界平和のための証言者、そして現代イタリアを代表する文学者だ。レーヴィは1944年2月から45年1月までアウシュヴィッツ強制収容所で強制労働を強いられ、同収容所がソ連軍に解放されることによって自らも解放された。
//ハンギョレ新聞社

 ロシア軍の侵攻開始から1年以上がすぎたが、ウクライナでの戦闘はまだ続いている。近い将来に終わりそうもない。私の脳裏には「終わらない戦争」という言葉がずっと点滅している。どうすれば「終わる」のか、「終わる」とはどういう状態を指すのか、曖昧なまま殺戮と破壊が継続している。この間に、ロシアのプーチンとベラルーシのルカシェンコが会談し、ベラルーシ領内への戦術核兵器の配備を承認した。わずか2〜3年前に市民から厳しく不正選挙の追及を受けて地位を脅かされていたルカシェンコは、強硬に市民を弾圧し、プーチンに接近して地位を保った。その時、投獄され、あるいは国を追われた市民たち(例えばノーベル賞作家のアレクシエーヴィチさんなど)は、現在どんな惨憺たる心境で日々を過ごしているだろうか。冷戦時代にはベラルーシに数十か所の核基地があったが、まさに時代はその時点へと逆戻りした。全世界的な反動の時代である。戦闘は雪崩を打って核戦争へとエスカレートしかねない。フィンランドがNATOに加盟し、スウェーデンも加盟を申請しているように、今や世界の分断と対立が固定化され、「中立国」という概念自体がゆるがされている。国連安保理事会などを代表とする第二次世界大戦終了後の世界秩序が機能不全に陥った現在、この趨勢に歯止めをかけることのできる要素は見当たらない。事態は東アジアでも同様だ。朝鮮半島核危機、台湾危機など、今にも火を吹きかねない。

 私は1951年生まれである。日本で生まれたが、その時には独立して平和を享受するはずだった祖国ではすでに内戦(朝鮮戦争)が始まっていた。その戦争は甚大な犠牲を出して1953年に「休戦」となったが、その後70年余が経った現在も休戦状態が続いている。戦争は終わっていないのである。

 ベトナム戦争中、私は高校生だった。凄まじい破壊と殺戮の報道に日夜接しながら大人になったが、米軍の敗北と撤退という劇的な光景も同時進行形で目撃した。チェルノブイリ原発事故とペレストロイカ、さらにソ連崩壊の時期は、40代になる頃だった。「9・11」の自爆攻撃も米英連合軍のイラク侵攻も、テレビにかじりつくように詳しく報道を見た。ここでは詳しく触れる紙数がないが、アフリカや中南米における戦火も絶えることがない。

 ボブ・ディランの反戦歌の歌詞ではないが、いったいどれだけ破壊すれば「終わる」のか? ドれだけ殺せば「終わる」のか? 祖国の人々とは異なり、私自身はいくつかの偶然のせいで、直接戦火を体験することはなかったが、私の生きてきた70年余の人生において、世界に戦争のなかった時期はない。戦争の黒い影は、常に鬱陶しく垂れ込めていた。その影が近頃、日増しに濃くなっていく。そもそも「戦争の影」と無縁に、その影を忘れて生きるということは不可能なのだろうか。「平和への願い」「平和への祈り」などというものは、現実の前では無力なお題目に過ぎないのか。

 そんな時にぜひ再読すべき書物として、私の念頭に繰り返し浮かぶのは、プリーモ・レーヴィの『休戦』である。レーヴィについては、私は今までも繰り返し言及してきた。『これが人間か』という作品で知られるアウシュヴィッツの生存者であり、戦後の世界平和のための証言者、そして現代イタリアを代表する文学者である。レーヴィは1944年2月から45年1月までアウシュヴィッツ強制収容所で強制労働を強いられ、最終的には同収容所がソ連軍に解放されることによって自らも解放された。彼とともにアウシュヴィッツに移送された「イタリア系ユダヤ人」650人のうち、その時点まで生き延びたのはわずか3人だった。

 『休戦』は、そのレーヴィがアウシュヴィッツからの解放後、それはまさに丸裸で広野に放り出されるような「解放」だったが、ポーランド、ウクライナ、ベラルーシなどロシア西部の各地を転々とし、様々な体験を重ね、異常ともいうべき人々と出会いながら、8カ月後に故郷イタリアに生還するまでの苦難の旅路を語った、20世紀の叙事詩とも呼ぶべき名著である。

 物語の主要な舞台である地域で、現在、戦争が継続中である。その地域は第二次大戦中の「独ソ戦」の主要な戦場でもあった。私たちはまさに、この物語を「ひと続きの終わらない戦争」の叙事詩として読むことになる。この物語は、苦難からの解放の歓喜を謳い上げるものではない。苦い警告に満ちた人間存在への深い洞察の物語である。「休戦」というタイトルがそのことを端的に表している。

 アウシュヴィッツからの解放後、レーヴィは同じく強制収容所生存者の「ギリシャ人(ギリシャ系ユダヤ人)」のモルド・ナフムと知り合い、放浪の旅を同行することになる。狡智にたけた商人である「ギリシャ人」はレーヴィにとって現実を生き抜くための厳しい師匠となる。例えば次のように。

 アウシュヴィッツでの囚人服しかなく、ありあわせの靴がすぐにダメになったレーヴィに「ギリシャ人」は、「おまえはばかだな」と言った。「靴を持っていないやつはばかだ」。靴があれば食料を探しに歩き回ることができるが、靴がなくてはそれもできない」というのである。「反論は不可能だった。その論旨の正しさは、目に見え、手に触れることができた。」

 この「ギリシャ人」の狡智と豪胆のおかげで、アウシュヴィッツを出たばかりのレーヴィは、混沌の中を少しずつ歩き始めることができた。その「ギリシャ人」は「戦争は終わっている」というレーヴィに「いつも戦争だ」と「記憶すべき答え」を吐き出した。「私たちはラーゲル(強制収容所)を経験した。私はそれを、私の人生や人類の歴史の奇怪な歪曲、おぞましい例外とみなした。だが彼にとっては、周知のことの悲しい確認でしかなかった。『いつも戦争だ』。人間は他人に対しては狼だ」

 「いつも戦争だ」…この長い叙事詩の冒頭近くに現れる挿話が、本書全体の主題である。その語り口は時として素晴らしいユーモアに満ちてもいる。特にイタリア人詐欺師でレーヴィの親友であるチェーザレについて語るくだりなど。また、ウクライナ人の若い女性ガリーナの魅力についての語りは解放によってもたらされた命の喜びを示唆している。終戦とともに帰郷するため西から東へと大移動していく人々の祝祭的な隊列、イタリア人など被抑留者たちが終戦を知った時の歓喜の爆発など、レーヴィの記憶は精緻であり、その描写は生気に満ちている。だが、この叙事詩は戦勝の歓びでは終わらない。不吉な深淵から語りかけるような予言とともに終わるのである。

 長い苦難の末、1945年10月19日、レーヴィは故郷の街トリーノに帰還した。無事だった家族とも再会を果たした。だが、その後も「恐怖でいっぱいの夢」が現れるのは止まなかった。「私は家族や友人と食卓についていたり、仕事をしていたり、緑の野原にいる。…だが私は深いところでかすかだが不安を感じている。迫りくる脅威をはっきりと感じ取っている。…私はまたラーゲルにいて、ラーゲル以外は何ものも真実ではないのだ。それ以外のものは短い休暇、錯覚、夢でしかない。」その夢は、アウシュヴィッツ収容所で毎朝聞かされた点呼の声「フスターヴァチ」(ポーランド語で「起床!」)で破られるのだ。

 この叙事詩は、私たちが「終戦」とか「平和」と呼んでいる(そう呼びたい)ものは、束の間の「休戦」に過ぎない、という苦い真実を語っているのである。それどころか、今はその「休戦」すら脅かされている。本書は1947年に最初のアウシュヴィッツ体験記『これが人間か』を発表したレーヴィが1963年に発表した第2作である。1962年のキューバ危機を経て「冷戦」が「熱戦」に転じかねない危機感が高まってきた時期に相当する。レーヴィはこの作品の後も、たんに「アウシュヴィッツ」の意味を考察するにとどまらず、人類にとっての平和の可能性を深く考察させる作品を残したが、1987年、トリーノの自宅で自死した。いま、私たちはウクライナでの戦争を目の当たりにして、彼の作品『休戦』が説いている冷厳かつ過酷な現実に直面している。

【付記】「休戦」の韓国版はドルベゲから出版されている。同書を原作とする映画『遥かなる帰郷』はフランチェスコ・ロージ監督。1996年、イタリア、フランス、ドイツ、スイス。今年5月から開かれる第11回インチョン・ディアスポラ映画祭において、同じくウクライナを主要な舞台とするイタリアの戦争映画「ひまわり」(ヴィットリオ・デ・シーカ監督)を上映するともに、徐京植が講演の中で『遥かなる帰郷』について紹介する予定である。

//ハンギョレ新聞社

徐京植(ソ・ギョンシク)|東京経済大学名誉教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1087813.html韓国語記事入力:2023-04-14 02:36

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