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[コラム]55年も経ったのに…国家から抜け出せない韓国の財閥

登録:2023-02-11 06:27 修正:2023-02-11 07:16
エコノミーインサイト _ Economy insight 
チョ・ゲワンのグローバル経済と社会
韓国の企業エリートたちは「上からの産業化過程」で成長し国家依存的集団になったと分析されている。写真はサムスングループの母体となった三星商会=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社

 「鉄鋼王カーネギーの幸運を説明するためには、彼の母親が現実的な人物だったということより、彼の青年期に社会の全般的な経済状況が有利だったという事実の方がはるかに重要だ。鉄道王ヴァンダービルトがいくら冷酷な人間だったとしても、当時の政治が全く腐敗していなければ、全米の鉄道を支配し、手中に収めることはほとんど不可能だっただろう。伝説的な石油財閥のハロルドソン・ハントの心理的資質よりは石油の地理的分布と当時の租税体系を理解することの方が重要であり、ジョン・ロックフェラーの場合、彼の幼少期よりは米国資本主義の法律的構造と法律機関の腐敗を理解する方が正確であり、ヘンリー・フォードからは彼の無限のエネルギーよりは資本主義経済システムの技術的進歩を理解する方が重要だ」

 社会学者のC.ライト・ミルズの著書『パワーエリート』(1956)に出てくるこの印象的な部分は、財閥の企業家を理解するためには企業家的資質や情熱、品性、幸運よりも彼が富を蓄積した社会の政治・経済的構造をまず把握すべきだと指摘している。1930年代、米国ジャーナリズムはこのような独占大手企業家に「悪徳資本家」(泥棒男爵:Robber Baron)という不名誉な修飾語を付けたりもした。1953年当時、ゼネラルモーターズ(GM)の社長だったチャールズ・ウィルソンが威勢よく放った「国家に良いことはGMに良いことであり、GMに良いことは国家に良いこと」という言葉も、米国の独占資本と国家の緊密な結束を象徴する。ここでの結束はロビーと結託を含む。

 ところが、国家を相手に威張っているかのような口調のGM社長とは異なり、サムスンや現代自動車、SK、LG、ハンファなどの韓国の企業家が新年の辞でよく掲げる旗印は「事業報国」だ。かなり前に他界した先代の創業1世の設立理念だとしても、それから80年余りが過ぎ、それぞれグローバル企業になった今、「国家に報いる」という一声は新年の辞にしては新鮮味がない。革新と挑戦よりどこか自負が足りない、依存的な印象を拭えない。

 韓国を代表する企業が相次いで設立されたのは1968年頃だ。現代自動車(1967年)、大宇実業(1967年)、ポスコ(1968年)、サムスン電子(1969年)がこの時期に誕生した。韓国銀行の国民勘定(2015年基準年編制)によると、1968年の1人当たりの国民総所得は178ドル36セント。韓国は当時、フィリピンやベトナム、カンボジアより貧しいかほぼ同じ水準で、アフリカからも援助を受ける国だった。2022年末にサムスン電子の会長に就いた「エリート企業家」のイ・ジェヨン氏もこの時期(1968年)に生まれた。

 今や韓国の2021年の1人当たりの国民総所得は3万5373ドルだ。世界史に類例のない奇跡を作り出したが、国家と市民社会で韓国の企業家の道徳的リーダーシップは依然として弱い方だ。その理由について、高麗大学のチェ・ジャンジプ名誉教授は最新の「ネイバー開かれた演壇」の講演(韓国での自由主義)で、「歴史的に西欧では企業エリート(新興ブルジョア)が自由主義を先導してきた一方、韓国の企業エリートたちはそのような役割を果たせなかった」と述べた。強力な権威主義国家が全面的に支援し主導した上からの産業化過程で成長した韓国の企業エリートたちは国家依存的集団になり、そのため社会でヘゲモニーを握ることができなかったという指摘だ。

 C.ライト・ミルズは米国の大富豪について「一方では泥棒、他方では革新家という対照的なイメージを持つことが必ずしも矛盾するわけではない。多くの点において両方とも事実を語っている」と評価した。「事業報国」を越えて企業家自ら主導する革新が、韓国の企業に社会的リーダーシップをもたらすだろう。

チョ・ゲワン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1079161.html韓国語原文入力:2023-02-10 11:14
訳H.J

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