「本当におかしな世の中です。世界の多くの国で、ロシア人に対し侵略戦争に参加するな、プーチン政権の侵略を拒否しろと求めています。しかし、いざ私たちのように侵略戦争に動員されることを行動で拒否すれば、快く受け入れてくれるところはありません。韓国も同じです。おかしくないですか? どうして言葉と行動がこれほど違うのでしょうか」
私にこう言ったのはシベリア出身のロシア人アレクサンドル(30)だ。彼は、私たちが通常考える「兵役拒否者」とはかなり異なる。実は、彼は「兵役」そのものを拒否したわけではない。ロシア軍特殊部隊で兵役を遂行し、予備役を務めた若者だ。ところが、家族がウクライナ出身の彼は、なぜ自分が先祖の故郷であるウクライナに行ってロシアを脅かしてもいない兄弟姉妹を殺さなければならないのか到底分からないという。
さらに、彼は現在ロシアで収監中の在野の指導者アレクセイ・ナワリヌイに従う民主化運動家だ。彼は、ウクライナ侵攻のみならず、教育・福祉予算削減、低賃金非正規職の雇用量産、そして労働運動や民主化運動の弾圧など、プーチン政権の新自由主義的な国家主義政策全体を批判的にみている。彼がみたウクライナ侵攻は、このような反民主・反民衆的政策の一環だ。それで10月、戦争動員を意味する入営通知書を受け取るとすぐに、彼は秘密裏に国境を越えて「闘って民主主義を勝ち取った」と知られる民主主義国の韓国に向かった。この「民主主義先進国」韓国で、彼は入国すら拒否されて仁川国際空港でホームレス生活をしている。
しばらく韓国に滞在していた私は、先月15日、ソウルを発つ前に仁川国際空港で彼に会った。私の乗る飛行機が待機している出口と、彼が居ついているところとはそれほど離れていなかった。彼は一人ではなかった。いつまでとも分からないままターミナルで暮らすロシア国籍者でコーカサス出身のザシャールと、ブリヤート自治共和国出身のウラジーミルなど数人がいた。3人ともロシアの少数民族出身だった。
私と詳しい話を交わした23歳の大学生ウラジーミルは、プーチン政権の人種差別に怒りをあらわにした。彼の故郷であるブリヤート共和国の出身者たちは、ロシアのウクライナに対する武装干渉が始まった2014年からずっと東部ウクライナ地域の戦闘に動員された。彼らはロシアの権力者から「安価な弾除け」として扱われてきた。少数者が「弾除け」に追い込まれるのには経済的背景もあった。ブリヤートのような少数民族が集まって暮らす辺境地域は、投資から疎外される差別を体験してきたために適当な働き口がなく、軍隊がほとんど「唯一の雇い主」として君臨している。
少数民族居住地域の差別がプーチン独裁の属性と有機的に結びついていることに気づいたウラジーミルは、予備役出身ではあったがウクライナ侵攻に動員されることを拒否し、やはり秘密裏に出国しモンゴルなどを経てすべての希望をかけて「民主主義国家」韓国に来た。他国に行く機会もあったが、彼は誇らしい民主化闘争の歴史を持つ韓国が自分を助けてくれると固く信じていた。
しかし、韓国行きに命運をかけた彼らの期待は一つまた一つと崩れた。彼らは入国審査台さえ通過できなかった。アレクサンドル氏は、反政府デモの経歴や警察から殴打された経験など、自分が言った話がきちんと通訳されていないと話した。彼らは侵略戦争や人種差別を含む独裁政権の蛮行に反対して韓国に来たが、韓国法務部は彼らを単なる「徴集忌避者」と考え、「徴集忌避は難民地位付与の根拠にはならない」と明らかにした。
審査を受ける機会自体を与えられなかった彼らは、異議を提起し応答を待っているが、その間に本人たちの表現どおり「動物園の動物のように」ターミナルに閉じ込められホームレスになるしかない境遇になった。「民主主義の国」と思われていた韓国は、民主主義に対する彼らの熱望を歓迎していないようだ。ウラジーミルは「最後まで我慢して耐えることで、私たちが単純に豊かな国で暮らしてみようという目的で来たのではなく、真の政治亡命者であることを証明する」という固い意志を明らかにしたが、顔には疲れた様子が歴然としていた。数カ月間、空港に閉じこもって暮らすことは監獄生活とどれほど違うだろうか。
彼らと別れて飛行機に乗った後も、彼らの姿が頭から離れなかった。私は彼らの言葉を反芻し続けた。彼らの言うとおり、今私たちが誇らしく思っている韓国の民主主義は凄絶な闘争の中から生まれた。その闘争の過程で韓国の多くの民主闘士たちは、やむなく空港に閉じ込められたロシア難民のように亡命せざるを得なかった。
後に大統領になった金大中(キム・デジュン)は1982~85年に米国で亡命生活を送った。後に韓国放送(KBS)理事長などを務めたチ・ミョングァン元翰林大学教授は、1972~1993年に亡命先の日本に滞在し、韓国の民主化運動を全世界に知らせた。後日ハンギョレ新聞企画委員になった南民戦(南朝鮮民族解放戦線)活動家出身のホン・セファは、1979~2002年にフランスで亡命志士として過ごさなければならなかった。金大中、チ・ミョングァン、ホン・セファが民主化された祖国でそれぞれ重要な役割を担うことができた背景の一つは、まさに亡命先で彼らが受けた「支援」と「連帯」だった。このような歴史を持つ大韓民国で民主化のために闘争しようとする外部者に支援と連帯を施すことは、一種の「道徳的責務」ではないだろうか。
仁川国際空港に閉じ込められたロシア難民は、単に民主化だけを図ろうとしているのではない。彼らは侵略戦争に参加することを拒否して韓国に来た。いわば、日帝の学徒兵に強制徴集されたが脱出に成功したキム・ジュンヨプやチャン・ジュンハのような韓国現代史の英雄たちも、日帝が中国で行った侵略戦争への参加を行動で拒否した人ではないか。キム・ジュンヨプやチャン・ジュンハ、あるいはベトナムでの侵略戦争を批判したリ・ヨンヒのような韓国の良心的ジャーナリストは、韓国の模範となる歴史的人物だ。それなのにロシアから来た侵略戦争拒否者たちをなぜこのように門前払いするのか。
民主主義や帝国主義侵略反対は、我々を支える歴史的価値だ。これらの価値は国内外の別なく普遍的に適用されなければならない。そのような意味で、外国の侵略反対者と民主化運動家に対する冷遇は、韓国としては「自己背信」に当たる。民主主義国家韓国の歴史に、なぜこのような汚点を残そうとするのか。