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[寄稿]韓国は見せかけの先進国という「外皮」を脱ぎ捨てよ

登録:2022-11-21 03:34 修正:2022-11-30 11:32
ユン・ホンシク|仁荷大学社会福祉学科教授・ソーシャルコリア運営委員長
8月16日午前、ソウル龍山の大統領室前で行われた豪雨犠牲者追悼週間宣布記者会見で、ある参加者が「不平等こそ災害だ」と書かれたプラカードの上に白い一輪の菊を置いて座っている=パク・チョンシク記者//ハンギョレ新聞社

 本当に「先進国」になったと思った。日本による植民地支配、解放、分断、戦争を経て、世界で最も貧しかった国が、国内総生産(GDP)規模で世界10位に躍り出た。1人当たりの実質GDPと賃金水準はすでに日本を追い越しており、1人当たりの名目GDPも早ければ今年中に、遅くとも近いうちに日本を追い抜くだろうという。

 それだけではない。韓国文化は世界の人々の楽しむグローバル文化になった。政府樹立後数十年間にわたって厳しい独裁を経験したものの、1987年の民主化以降、民主主義はだんだんと強固になっていると信じていた。私たちが直面する深刻な社会経済問題さえ「先進国」大韓民国が支払うべきコストだと考えていた。

 しかし、そうではなかった。韓国は深刻な社会経済的問題を抱えている「奇妙な先進国」ではなく、物質的豊かさを除いてほとんどすべてが成熟していない「奇妙な後進国」だった。でなければ、セウォル号惨事を経験して10年もたたないうちに、国がまたしても国民の安全をないがしろにし、その責任すら否定する状況が繰り返される現実を説明する術がない。

 このかん私たちが作ってきたと思っていた「先進的」システムは作動しなかった。民主主義社会だから無能な人々も大統領になりうるし、無能な政党も政権を握りうると考えていた。それでも私たちがきちんとした社会・経済・政治システムを作っておけば、誰が政権を握っても国はきちんと動くと思っていた。

 大変な錯覚だった。経済さえ成長させれば成熟した社会と政治は自然についてくると思っていたのだが、そうではなかった。経済成長のみを最高の価値とする社会では、力量のある民主的政治勢力も、社会も、成長できなかったからだ。

 振り返ってみれば梨泰院(イテウォン)惨事が発生する前から、目に見えない社会・政治力量を成熟させなければ私たちの社会は持続可能にはならないという警告音が鳴り響いていたように思う。近くはセウォル号惨事からはじまって、深刻化する不平等、自分の権利だけが大切で、自分と自分の家族のみが豊かに暮らせればそれでいいという極めて利己的な自己責任という価値観、国と政治に対する途方もない不信に至るまで、あらゆる現象が危険を警告していた。

 不幸なのは、責任あるいかなる政治勢力も、これらの警告を真剣に受け止めていなかったことだ。いや、受け入れられなかったのだろう。解放後、韓国には経済成長と先進国入りという誰も否定できない明確な目標があった。問題は、韓国社会がその合意された目標に達するやいなや、どこへ向かうべきか迷ってしまったということだ。私たちには、先進国に追いつくためにより速く「成長」しなければならないという古い目標に代わる、新たな代案的目標がなかったからだ。

 新たな代案的目標が見出せなかったから、誰も成長第一主義という古いフレームから抜け出せなかった。すると有力な政治勢力は、競うように「自分たちこそが国民をより金持ちにできる」と叫びはじめた。誰かが韓国社会を根本から問い、省察を求めれば、世間知らずがおめでたいことを言っていると思われるのが常だった。

 前回の大統領選挙を振り返ってみれば、さらにそれが明らかになる。二大政党の公約は、その公約が「成長と福祉の好循環」という外見に覆われていようが、「公正な成長と国民生活の安定」とパッケージされていようが、結局中身はさらに豊かになるためにはさらに速い成長が必要だというものだった。こうして私たちの誰もが、早い成長という過ぎ去った昔の歌を吟じ続けている間に、韓国社会は前例のない危機に陥っていたのだ。

 今、私たちはどこに立っているのだろうか。物質的に豊かな大韓民国の2022年を歴史はどのように記録するだろうか。歴史は2022年を民主化以降「最悪の年」のひとつとして記録するかもしれない。法の支配を装った人の支配が民主主義と等値とされ、公正と自由を叫ぶ政権の下で、不自由と不公正はより深刻になった。そしてソウルのど真ん中では、罪のない多くの市民が無責任な国のせいで命を落とす惨事が起きた。

 経済だけが成長した奇妙な後進国、大韓民国が歩んできた道に対する冷静な省察が必要だ。物質的豊かさが全てではないということが、そして社会の力量の成熟とその社会を導いていく力量のある民主的政治勢力の成長なしには国民の生活を安全で幸福なものにすることはできないということが、明らかになった。最悪の2022年、私たちはどこへどのように向かってゆけばよいのか。社会的議論を始めよう。見せかけの先進国という外皮は脱ぎ捨て、これからは国民が安全で幸せな国を作る新たな歴史を記さねばならない。

//ハンギョレ新聞社

ユン・ホンシク|仁荷大学社会福祉学科教授・ソーシャルコリア運営委員長 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1068069.html韓国語原文入力:2022-11-20 19:31
訳D.K

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