20年前の2002年、数百万人がソウル都心を埋め尽くした韓日ワールドカップの自発的な街頭応援はどうやって安全に行われたのだろうか。当時、毎朝大統領府で開かれた安全対策会議に出席したある元首席秘書官は、次のような話を聞かせてくれた。
「当時、街の状況を担当したのは警察だった。金大中(キム・デジュン)大統領は韓国選手たちの試合を見るためにスタジアムに行っていたが、試合中も随時街の安全状況を報告するよう秘書室長に指示した。大統領への報告のため、秘書室長と政務首席秘書官はほぼ10分おきに警察庁長官と通話を続けた。大統領が大きな関心を持っていたから、警察も安全に全力を傾けた。例えば、街頭応援の主な舞台である光化門(クァンファムン)交差点に通じる幹線道路は開放する一方、路地は閉鎖した。路地に多くの人が突然押し寄せたり、暴力事態が発生したりすることを防ぐためだった。そのような措置が功を奏した」
同元秘書官は梨泰院(イテウォン)惨事の責任を龍山(ヨンサン)警察署と現場警察官に転嫁する現政権に対して、このような言葉を付け加えた。「核心はコントロールタワーの不在だ。大統領室がその役割を果たさなければならないが、それが崩れた。2002年に警察を管轄する大統領府政務首席室は、ソウル市内の大規模な人出が集まる場所をすべてリアルタイムでチェックし、機動隊の位置と移動現況まで把握していた。梨泰院の現場に警察137人がいても、上部の正確な統制と指示がなければ、ただの砂粒に過ぎない」
警察兵力の運用のような「些細なこと」まで大統領室が管理しなければならないのかと問い返すかもしれない。いま尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権の態度がまさにそうだ。しかし、その日、ソウル都心では予告された大規模集会が2つも開かれ、ウィズコロナ(日常の回復)で、10万人をはるかに超える人が梨泰院を訪れることも十分予見されていた。ならば、大統領でなくても、大統領室の誰かは状況を注視し、非常事態に備えるべきだった。事故が発生すれば、直ちに関連省庁と機関を動員できる準備を整えていなければならなかった。それが国政の司令塔という大統領室の基本任務ではないか。国政の司令塔ではあるが「災害のコントロールタワーではない」などと言うのは、言葉の綾だとしても納得いかない。尹錫悦大統領府は最も基本的な任務で惨憺たる失敗をした。
政府の発表によると、警察指揮部より事故発生を先に知ったのは大統領室だ。惨事当日の夜10時53分、大統領室国政状況室は消防庁を通じて事故を把握し、11時1分に国政状況室長が尹大統領に報告した。ところが「行政安全部を中心にすべての機関が万全を期すべき」という大統領の最初の指示は20分後の11時21分に出た。おそらく11時20分になってようやくイ・サンミン行政安全部長官と連絡が取れたためとみられる。理解できないのは、まさにこの部分だ。尹大統領も言ったように、現場の第一線には警察がいた。しかし、大統領はもとより、秘書室長や首席秘書官の誰も事故の第1報を聞いて、直ちに警察庁長官や次長、ソウル警察庁長官と連絡を取った記録は見当たらない。大統領はひたすらイ・サンミン長官からの連絡を待っていたわけだ。大統領府秘書室長と首席秘書官が10分おきに警察庁長官と連絡を取り、その内容を大統領に報告したという20年前の安全対応システムはどこに消えたのだろうか。
結局、警察指揮部の誰も大統領室から直ちに状況を聞いたり、対応の指示を受けたりすることはなかった。故郷の山でキャンプをしていた警察庁長官は2時間後に初めて報告を受け、ソウル警察庁長は大統領より35分も遅れて惨事発生の事実を知った。もちろん、下から上がってくる報告体系がめちゃくちゃだった警察には厳しく責任を問わなければならない。 しかし、だからといって効率的な指示をあきらめた大統領室が責任を免れることはできない。前政権で大統領府危機管理センターにかかわった経験があるある関係者は「以前、大統領府バンカー(危機管理センター)には災害を総括する局長級の公務員が行政安全部から派遣されていた。現政権は大統領室(の規模)を減らすとして、この機能をなくした。そのようなことが緊急災害への対応に影響を及ぼす」と語った。
大統領室が国政の司令塔である理由は、ほかでもなく常に危機を管理し、すべての分野の情報を収集して正確な判断を下さなければならないところであるからだ。20世紀に入って国家の安全保障や経済、災害まで総括する大統領は、よく「最高司令官」(Commander-in-chief)と呼ばれる。いま全面的な危機に瀕した大韓民国で、大統領は「最高司令官」としてではなく、前政権と野党捜査にすべてをかける「最高捜査責任者」としての役割のみ果たしているように見える。実に残念だ。