第20代大統領選挙が終わった。尹錫悦(ユン・ソクヨル)候補が当選した。韓国ギャラップの定期調査によると、文在寅(ムン・ジェイン)大統領の職務遂行を評価するとした人の割合は任期終盤にもかかわらず40%前後にのぼり、過去の大統領とは著しい違いを見せたが、「政権交代」世論はそれよりも強かった。住宅価格を安定させるとの約束を守れなかったことや不動産税の引き上げなどの経済運営に対する不満や、政権勢力の道徳性に対する信頼が傷ついたことが、5年ぶりの政権交代を招いた最も重要な変数だったと思う。そのような意味で、今回の大統領選の結果は尹錫悦氏と国民の力の勝利というよりも、民主党政権と李在明(イ・ジェミョン)候補の敗北という性格の方が強いように思う。
しかし、尹錫悦氏がわずか0.73ポイントの得票差で勝ったのは少し意外だ。これまでの大統領選挙の中で最も小さい約25万票差にとどまった。政権交代世論の強さと比べて、支持率はかなり低かったわけだ。政権交代を望みながらも、尹錫悦候補と国民の力が代案として快く受け入れられない人がそれだけ多かったという意味に解釈しうるだろう。
選挙運動の過程を振り返れば、そのような結果が出た理由を理解するのは難しくない。尹錫悦候補の言葉は温かさ、論理、品格というより冷たい怒りと嫌悪が目立った。過去を克服する代案の提示ではなく、反対と憎悪の結集に邁進しているようだった。選挙戦の性格を、次の政権が展開する政治と政策を問う「展望投票」ではなく、前政権の功罪を評価する「回顧投票」の方へと持っていこうという戦略だったのだろうが、「政権担当能力の限界」を露呈したとも考えられる。
今や選挙は終わった。何票差で勝ったとしても大統領の権限には変わりがない。しかし、権力の行使にはその重さに応じた責任が伴う。これからどうするのかが重要だ。中国の漢を建国した高祖劉邦の参謀、陸賈の故事を尹錫悦氏には思い起こし、覚えておいてほしい。
劉邦が項羽を退けて皇帝となった後、陸賈は皇帝に拝謁するたびに民の暮らしと心情が記された詩(詩経)と歴史書(書経)の一節を引用して語った。これに対し皇帝が「私は馬の背に乗って天下を得たのだ」と不快感を示すと、陸賈はこう反論したという。「馬上で天下は取れても、馬上で天下が治められましょうか」(司馬遷『史記』陸賈列伝)。権力を獲得する時に必要な能力と、政治で成功するために必要な能力は異なるというわけだ。
尹錫悦氏はこれまでの人生を検事として生きてきた。権力に屈しない捜査で名をあげており、検察総長になったのに続き大統領選挙でも勝った。選挙時の発言をあげて「刑法典一つでも国は十分に治められる」と信じているのではないかと疑問を抱く人々がいる。過ぎたる杞憂であることを願う。
日本帝国主義の長年の植民地支配から脱するやいなや同族が戦う巨大な悲劇に直面し、廃墟から出発した大韓民国の歴史は、世界10位の規模の経済を築いて先進国入りを果たし、東アジアでは稀な民主主義国家を築いてきた道程だ。与野党の政権争いはそのような成長と発展の方法論をめぐるものに過ぎず、方向を変えるためのものではない。そのような点で、政治的ライバルたちが大統領の失敗を望むのとは異なり、国民は常に新大統領の成功を願っている。
国民生活の観点から見ると、今回の大統領選を通じて特に目立った政治課題は住宅・不動産問題と、非常に不足している若者たちのための良質な雇用機会だ。中でも住宅・不動産問題ははるかに解決が難しい。人によって望むものが異なり、それらが相反することも少なくないからだ。一時の不満を結集して政治的な力とするのは容易だが、実際に代案を提示するのは難しい。一つの袋の中にあった互いに異なる利害関係がすべてあふれ出すからだ。
尹錫悦氏と国民の力が歴史に責任を取る政治を行おうと考えるなら、「自分も住宅・不動産で大金を稼ぎたい」という人々の欲望に便乗してはならない。それはいくつかの欲望を一時的に満たすだけで、住宅価格が上昇した分、家を持たない人々とこの国の経済にとっては重荷になる。国民の居住費負担を軽減して安定させ、「不動産不敗神話」を破壊することを政策の究極目標とすべきだ。それに成功してはじめて、この国の経済はもう一段階上へと飛躍しうる。政権の成否は、ほぼ常に「経世済民」にかかっている。
チョン・ナムグ|論説委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )