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30年前に消えた核の傘―北朝鮮核「パンドラの箱」が開かれた

登録:2021-04-21 09:49 修正:2021-04-24 09:03
イ・ジェフンの 1991~2021(01) 

韓ソ国交正常化という「青天の霹靂」にショックを受けた北朝鮮は、それでもソ連政府が「極東で最も有望な経済パートナー」と評価した韓国を「米帝の植民地」と貶める「精神的勝利」を忘れなかった。「今日の南朝鮮の立場では(23億ドルという)莫大な金を出す源泉もなく、おそらくそれは社会主義を崩壊させるための米帝の特別基金から出るのが明らかだ」と。
韓国とソ連は1990年6月4日の史上初の首脳会談、同年9月30日の国交樹立合意・調印、12月14日の盧泰愚大統領とゴルバチョフ大統領が締結した「韓ソ関係の一般原則に関する宣言」(モスクワ宣言)署名を経て、敵対から協力へと関係を再設定した=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社

 ソ連のエドアルド・シェワルナゼ外相は、北朝鮮を説得する論理を整えることに集中するあまり、周りを気にする余裕がなかった。同外相を乗せたアエロフロート特別機は強風にあおらながら危うげに北朝鮮の順安(スナン)空港に降着した。1990年9月2日の平壌(ピョンヤン)は、大韓民国と国交正常化することにしたというソ連政府の通報を悲観するかのように、秋雨に濡れそぼっていた。盧泰愚(ノ・テウ)大統領とミハイル・ゴルバチョフ・ソ連大統領が1990年6月4日、米サンフランシスコで初の二国間首脳会談を行ってから3カ月にもならない時だった。

 その日午後、万寿台(マンスデ)議事堂でシェワルナゼの通報を受けたキム・ヨンナム朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)外交部長は、準備ができていないので次の機会に公式に返事をすると述べた。その時、誰かがドアを開けて入ってきてメモを渡すと、キム・ヨンナム部長は鋭く甲高い声でソ連の「裏切り」を猛非難した。

 「ソ連が南朝鮮と『外交関係』を結べば、朝ソ同盟条約を自ら有名無実化することになる。そうなれば我々はこれまで同盟関係に基づいていた一部の兵器も自主的に持つ対策を立てざるを得なくなるだろう。これは朝鮮半島における軍拡競争を激化させ、朝鮮半島情勢を極度に先鋭化させることになる」

 北朝鮮内閣の機関紙「民主朝鮮」の1990年9月19日付4面トップに掲載された「朝鮮の統一に妨害となるもの」というタイトルの記事に公開された、キム・ヨンナムがシェワルナゼに伝えた6項目の備忘録の5つめの項目の一部だ。要するに、キム・ヨンナムは北朝鮮に「核の傘」を提供した朝ソ同盟が有名無実化したため、「核兵器を自主開発する」と宣言したのだ。

 当時、会談会場にいたあるソ連代表は、キム・ヨンナムが「核兵器」を取り上げて脅したことを覚えていたと、ドン・オーバードーファー(『二つのコリア―国際政治の中の朝鮮半島』)は伝えた。キム・ヨンナムが実際に「核兵器」を口にしたかどうかはともかく、「これまで同盟関係に基づいていた一部の兵器も自主的に持つ対策」という「民主朝鮮」の文言で、事実上「核開発」を宣言したという歴史的事実が重要だ。世紀が変わって21世紀の3回目の十年代が始まった2021年にも朝鮮半島の平和を押しとどめる、いわゆる「北朝鮮核問題」というパンドラの箱が開かれた歴史的瞬間だ。

 キム・ヨンナムは「朝鮮民主主義人民共和国が創建された時、真っ先にわが共和国を朝鮮民族唯一の合法的国家と認めた国」であるソ連が「南朝鮮と『外交関係』を設定すれば、わが国での社会主義制度を覆そうとする米国と南朝鮮の共同陰謀に加担し、三角結託関係を形成する」と主張した。韓国と国交正常化しようとするソ連を「米帝の手先」と非難したのだ。

 シェワルナゼは丸2日間、キム・ヨンナムの非難に苦しめられ、金日成(キム・イルソン)主席には会うこともできず平壌を発った。そして1990年9月30日、韓ソ外相会談で国交正常化に電撃的に合意・調印した。当初、ソ連政府が設定した国交正常化の日は「1991年1月1日」だった。驚きと喜びが入り混じった顔色のチェ・ホジュン外交長官を後目に、シェワルナゼは「これで朝鮮の人たちも目を覚ますだろう」とソ連の言葉でつぶやいた。

 5日後の1990年10月5日、朝鮮労働党中央委の機関紙「労働新聞」に「ドルで売り買いする外交関係」という論評が2面トップ記事で大々的に掲載された。ソ連は社会主義大国としての尊厳と体面、同盟国の利益と信義を23億ドルで売り渡した」、「これを『裏切り』という言葉以外のどんな言葉で表現できようか」

 韓ソ国交正常化という「青天の霹靂」にショックを受けた北朝鮮は、それでもソ連政府が「極東で最も有望な経済パートナー」と評価した韓国を「米帝の植民地」と貶める「精神勝利」を忘れなかった。「今日の南朝鮮の立場では(23億ドルという)莫大な金を出す源泉もなく、おそらくそれは社会主義を崩壊させるための米帝の特別基金から出るのが明らかだ」と。

 道に迷った時は歩いてきた道を振り返ってみよという古くからの助言がある。30年以上たった「昔の話」を今また持ち出した理由だ。

 社会主義宗主国ソ連の「裏切り」に憤慨し、捨てられた魂の恐怖を振り払おうとするようなキム・ヨンナムの断末魔の「核開発」の叫びは、事実上の「9番目の核保有国」という現実に変わった。金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長は2017年11月29日、「国家核兵器完成の歴史的偉業、ロケット強国偉業の実現」を宣言した。北朝鮮はソ連や東ドイツのように地図から消えなかった。

 それで過去30年は「主体朝鮮の成功の歴史、栄光の歴史」だと言えるのか?1990年代半ばから後半にかけて「苦難の行軍」の際には、少なくとも30万人を上回る北朝鮮の人民たちが飢えで命を失った。現代国際政治史に類を見ない「3代世襲」は奇怪だ。「社会主義朝鮮の始祖」であり「永遠な首領」である金日成主席の生涯の夢であった「米飯に肉のスープ、瓦屋根の家に絹の服」どころか「一日三食」も保障できない慢性的食糧不足に苦しんでいる。北朝鮮の「核」は多くの人民の命と平安を入れ替えた、呪われた武力だ。

 1990年以降、北は半分は自分の意思、半分は他者の意思で「自力更生」の道を歩んだが、南は開放の道を疾走した。「援助を受ける国」から「援助を与える国」に生まれかわった世界唯一の国家であり、経済成長と民主化を共に成し遂げた唯一の戦後独立国を飛び越え、今では「パラサイト」や「BTS」で世界市民の魂を揺さぶった「韓流」(K-Culture)を誇る「Kブランド」(K-Brand)の中堅国でもある。

 それで韓国の過去30年は「成功と栄光の歴史」だと言えるのか? 新型コロナウイルス大流行直前の2019年基準で年間1750万2756人の外国人が韓国を訪れ、2871万4247人の韓国人が世界各地を歩き回った「開かれた国」だが、北朝鮮、米国、中国、日本を除く他の国との首脳会談はニュースとして扱いもしない「井の中の蛙」だ。世界3大勢力圏である欧州連合(EU)の執行委員長の名前を知っている韓国人は何人いるだろうか。世界6位の軍事力を備えながらも、軍隊の作戦統制権を国連軍司令官の帽子をかぶった在韓米軍司令官に任せている現実、そしてそれを変えようという軍事主権政策に恐れをなす人が数多くいるという韓国社会の深層心理はまたどうなのか。

 南北の奇怪な自画像は、分断(臨時軍事停戦体制)の長期持続、米国の北朝鮮「封鎖」と核・大陸間弾道ミサイル(ICBM)を前面に押し出した北朝鮮の生存・突破の試み、南北の和解・協力と葛藤・敵対などが入り乱れた南北米の三角(または南北米中の四角)関係を除いては完全に説明できない。

 南の常識的な市民は「核を持った北」とともに未来を計画するつもりはない。1990年以降、極端な孤立に苦しんできた北は、もはや体制競争を夢見ることができないほど巨大化した南を前に、吸収統一の恐怖を振り切れないまま「生存の道」を探そうともがいている。5回の首脳会談を経ても、北が和解・協力の大きな道に踏み出せないよう襟首をつかむ恐怖の深淵だ。

 核を握ったまま戦争反対と平和を叫んだところで、響きはしない。ある人の「反戦平和」の主張は、核に目を向けていないので偏っている。「核を捨てたら良い待遇をする」という甘い言葉は吸収統一・体制崩壊の恐怖に打ち勝てない。ある人の「反核平和」の主張は、「戦争反対」に目を向けていないので偏っている。核を放棄する北朝鮮と、いかなる場合にも吸収統一を図らない韓国が出会わなければならない。それでこそ道も開かれる。

 機会がなかったわけではない。「朝鮮半島で冷戦体制が瓦解しはじめたことを意味」(1990年10月8日、国会外務統一委員会のチェ・ホジュン外相)した韓ソ国交樹立の翌年1991年、南北は誰もが予想も期待もしなかった劇的な二人舞を踊る。国際的には二つの独立した主権国家であることを認め(1991年9月17日、国連同時・分離加盟)、両者レベルでは「統一志向特殊関係」を確認(1991年12月13日、南北基本合意書)し、「非核平和朝鮮半島」を宣言(1991年12月31日、朝鮮半島非核化共同宣言)したのだ。1991年9月から3カ月の間に行われた「国連加盟+南北基本合意書+非核化共同宣言」の精神を完全に生かしていたなら、その30周年を迎える2021年4月の朝鮮半島の風景は、今とは全く違っていたはずだ。1991年は「早く訪れた未来」だ。

 どこで道に迷ったのだろう。勇気を出して踏み出したが最後まで進めなかった道、知恵が足りず間違えた道を振り返らなければならない。

//ハンギョレ新聞社

イ・ジェフン|統一外交チーム先任記者

1993年ハンギョレ入社。1998年から金剛山観光・開城工業団地事業の開始と中断、5回の南北首脳会談、6回の北朝鮮核実験、金正日国防委員長の死去と金正恩国務委員長の「3世継承」、2回の朝米首脳会談、史上初の南北米首脳会談などを現場で取材、報道してきた。 反戦・反核・平和の朝鮮半島と南北8千万市民・人民の平和な日常を夢見る。

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/991621.html韓国語原文入力:2021-04-20 02:37
訳C.M

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