どれも進歩の基盤たる労組、特に大企業、公共部門の労組の抵抗は避けられない。しかし、それに挑戦して構造を根本的に変えようとせずに、青年世代に向かって進歩に投票せよと言えるのか。86世代の20代が進歩だったのが時代の反作用なら、今の20代の保守化は既存の進歩世代のドグマと手に入れた既得権への安住、感性の違いが生み出したものだ。
1990年代までは、時代を分ける基準は「民主対反民主」だった。そして1997年の政権交代後、進歩と保守という基準が政治社会的に定着した。進歩的市民団体である参与連帯を作ろうとした時、当時の運動圏の仲間たちからは「修正主義」だとの批判を受けた。理念が進歩を規定した時代だった。当時の筆者にとって進歩とは、価値を志向しつつも、すべての固定観念と既得権を拒否し、常に変化を追求するものだった。一時は進歩的だったものも、歳月が経って世の中が変わればドグマや既得権となり、それに固執すれば保守となるという考えだった。
政治的に環境が変わったとして立場が交差し、価値や国民の生活とかけ離れた政治的フレームが支配する今日の政治の現実において、はたして進歩と保守は意味のある政治的物差しとして国民に受け入れられているのか。現実政治はさておくとしても、価値を実現する将来のビジョンを語るうえで、進歩は構造的な問題にどれほど率直であり、変化した現実の前でどれほど自らを革新しているのか。
90年代以降、進歩はかつて修正主義と批判していた社会民主主義を受け入れ、スウェーデンをモデルとした福祉国家を目指した。しかし今日、そして将来の大韓民国において、北欧福祉国家モデルは実現可能なのか。筆者が理解する限り、スウェーデンモデルは高い経済成長率、ピラミッド型の人口構造、事実上の完全雇用を前提としたものだった。今日の大韓民国が直面する現実は、低成長の構造化、少子高齢化による逆三角形の人口構造、高い若者失業率と不完全雇用の拡大だ。この条件は、うまい政策を実施したからといって、予測可能な未来において解決できる性質の問題ではない。肝心なのは、経済活動人口が急減しているということだ。福祉のコストを負担することになる未来の若者世代にとって、福祉国家は希望となりうるだろうか。こうした条件における持続可能で現実的な最善策は、国が「国民福祉基本ライン」を設定し、少なくともそれだけは守ることかもしれない。
一時的にはともかく、構造化された福祉制度を負債でまかなうことはできない。増税は避けられない。ところが昨日は税率を引き上げ、今日は減税を進めるといった具合だ。労働者の半分は免税者であり、自営業者の免税基準も引き上げられ、各種の租税減免制度は延長され続け、むしろ拡大している。既存の福祉国家体制であれ、基本所得(ベーシックインカム)であれ、金持ちに対する増税で財政をまかなえるという話は、ほとんど曲学阿世のようなレベルの主張だ。福祉制度で返してもらうにしても、所得があれば1ウォンであっても税金を払う社会になってこそ、高所得者、資産家に対してより多くの税金を負担せよと言える。スウェーデンは、進歩が逆進的だと批判する間接税である消費税の税率が25%で、ほとんどすべての国民が税金を納付し、現金福祉給与にも税金を課す。進歩はどのように福祉国家の未来を受け入れるのか。
大企業と中小企業、正規職と非正規職の格差はもちろん、労働市場における公共部門と民間部門の格差も徐々に広がり、今や世界最高水準だ。韓国にのみ存在する年功給の賃金構造は、労働者の中でも既成世代と呼ばれる旧世代の既得権だ。第3次産業中心の雇用構造の下では、非正規労働者の正規職化のみが対策ではない。労働権の強いドイツさえ、2017年現在の非正規労働者の割合は35.1%と、32%の韓国より高い。ところが、非正規労働者の正規職化のみが主張され、賃金構造の再編は議論の対象にすらなっていない。
勤続年数によって賃金が決まる年功給構造は、職務給へと転換すべきだ。常時業務の正規職化は当然だとしても、産業構造上発生する非正規労働者に対しては、賃金等の差別を禁止するとともに、時間当たりの賃金を正規職よりも高くすることが、実質的な対策となりうる。各企業レベルではなく産別交渉を通じて、ドイツのように大企業の引き上げ幅は縮小し、中小企業の引き上げ幅は拡大する連帯賃金戦略が実行されるべきだ。
どれも進歩の基盤たる労組、特に大企業、公共部門の労組の抵抗は避けられない。しかし、それに挑戦して構造を根本的に変えようとせずに、若者世代に向かって進歩に投票せよと言えるのか。
進歩は20代の保守化を懸念する。86世代(80年代に大学生だった60年代生まれの世代)の20代が進歩派だったのが時代の反作用なら、今の20代の保守化は古い進歩世代のドグマと、彼らが手に入れた既得権への安住、感性の違いが生み出したものだ。自由主義を欠いた進歩の集団主義は、保守の国家主義と変わらない。国の成長のために労働者の犠牲を強要した保守、組織と大義のために個人の犠牲を強要した進歩が、今日の世代に異なる受け止め方をされるだろうか。
我々の時代の進歩とは、特定の理念や政策ではない。絶え間ない省察、すべての絶対的な物事に対する懐疑、変化への大胆な挑戦のみが、進歩を進歩たらしめる。「一切の理論は灰色で、 緑なのは生活の黄金の木だ」
キム・ギシク|ザ未来研究所政策委員長 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )