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[コラム]「民主主義の皮を被った独裁」というが…

登録:2020-08-06 02:02 修正:2020-08-06 08:54

保守、極右、独裁こそ大韓民国70年の歳月の「ノーマル」であった。金大中(キム・デジュン)-盧武鉉(ノ・ムヒョン)-文在寅(ムン・ジェイン)とつながる13年は、その歳月に比べれば「ニューノーマル」であり、異常であり、「行ったことのない国」である。保守は13年間、レッテル張りと独裁論で難癖をつけてきた。国民が選挙で180議席を与えたのは、無難に政権を維持せよということではなく、それにふさわしい権限と責任を果敢に行使せよということだ。

未来統合党の議員たちが4日午後、国会本庁の階段で、共に民主党による高位公職者犯罪捜査処法と不動産関連法の可決を糾弾している=キム・ギョンホ先任記者//ハンギョレ新聞社

 民間独裁、ファシズム、全体主義、狂気…。保守政治家とメディアが一斉に現政権を追い詰める。政治的中立を守るべき検察総長までが巧妙な言い方で「民主主義の皮をかぶった独裁」という表現を突きつける。独裁治下においてこれほど自由な権力批判が可能なのかは分からないが、彼らはみな「独裁駆り立て」に余念がない。

 こうしたことは4・15総選挙を数カ月後に控えた今年初めにもあった。昨年末、共に民主党が正義党などとともに選挙法や検察改革法をファストトラック(迅速処理案件)で処理した直後だ。その頃にも独裁だの社会主義だの動物農場だのといったきつい言葉が溢れていた。独裁の亡霊が、ファシズムの亡霊が韓国社会を徘徊しているというのだが、本当だろうか。

 総選挙を控え、保守野党はそのように「独裁」と叫んだが、国民は政権与党に180近い議席を与えた。少なくとも独裁という批判はさほど説得力がないということが総選挙で判明したのだ。

 民主主義と人権の価値を重視してきた進歩改革勢力にとって、独裁批判は骨身にしみる。ろうそく革命で登場した文在寅政権がろうそくを手にした市民の上に君臨する独裁なら、存立の根拠が崩壊する。しかし、保守の一部による独裁という主張は筋違いだ。

 現在の未来統合党の立場を理解できないわけではない。3分の1を少し上回る程度の議席ではどうにもならない。開院交渉の過程で、常任委員長の割り当て分を蹴ったのは、最小限の阻止線を放棄したも同然だ。このような状況では、与党にすべての責任を押しつけておいて、独裁と決めつけるのはたやすい。

 これまでの韓国政治史を見れば、今の政局は明らかに「ニューノーマル」、非正常だ。保守、極右、独裁こそ大韓民国70年の歳月の「ノーマル」だった。金大中-盧武鉉-文在寅とつながる「民主政府」の13年はその長い歳月に照らしてみればニューノーマルであり、異常であり、「行ったことのない国」なわけだ。この13年間のニューノーマル時代に、保守はレッテル張りと独裁論を伝家の宝刀のように持ち出し、難癖をつけてきた。

 一体何が独裁なのか。合法的な独裁だというが、この程度の立法独走をもってファシズムだというのは説得力がない。ヒトラーが選挙で圧倒的な支持を受け、その後すべての権力を握ったことを持ち出しているが、状況が違う。ご存知のとおりヒトラーのファシズムは人種抹殺、侵略主義などの反ヒューマニズムでまとめられていた。

 不動産市場が時々刻々と乱高下する中、賃貸借3法、不動産3法を野党の反対を押し切って単独処理したからといって独裁だとは、言葉が過ぎる。コロナ禍による経済ショックを早急に解消するために、35兆ウォン(約3兆1100億円)の第3次補正予算を推し進めたことが、どうして独裁になるのか。むしろ未来統合党のユン・ヒスク議員のように「私は賃借人だ」と言って、政府の政策の弱点を鋭く突いた方がいい。

 立法強行に伴う政策の成否は、政府与党が責任を負うべきことだ。不動産政策が間違っていたなら、来春の補欠選挙や再来年の大統領選挙で審判を受けざるをえない。政策的な問題を独裁の領域へと流し込むのは理念の過剰であり、かつての「民主対反民主論」の保守バージョンにすぎない。

 少なくとも、盧武鉉政権時代と今とは違う。当時は総選挙では勝ったものの、まともに力を発揮できずに崩れてしまったが、今回はとにかく意図した政策を一貫して推し進めている。盧武鉉政権時代には理念型の政策を推進して失敗したが、今は民生型立法を着実に積み重ねている。

 法務部長官と検察総長の対立、監査院長の考え方をめぐる論争は、ある意味では民主主義の枠内で繰り広げられている不必要な消耗戦だ。独裁政府が意に沿わぬ検察総長や監査院長のポストを保ってあげつつ不満をぶちまけるなどということはない。検察総長が事実上、政権を相手に「独裁」を云々すること自体、今が「独裁」とは程遠いということの反証だ。大統領任命職である検察総長と監査院長の軌道を逸脱した行動は独裁の問題ではなく、効率的な国政運営の面から望ましくないということだ。このような対立構造は何とか一日も早く整理した方が良い。

 国民が選挙で180議席を与えたのは、無難に政権を維持しろということではない。その議席にふさわしい権限と責任を果敢に行使せよということだ。180議席を錆びた刀のように振り回すのも問題だが、まともに使うこともできないのはさらに大きな問題だ。

 4・15総選挙後の時代的課題は、16年ぶりに再び樹立された進歩改革勢力優位の権力構図を土台として、70年の歳月の残滓を克服することだ。もしかすると、今の部分的な偏りとスピードの出しすぎは、長い間片方に傾いてきた天秤を水平にするための避けられない痛みなのかもしれない。

//ハンギョレ新聞社

ペク・キチョル|編集人 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/956583.html韓国語原文入力:2020-08-05 17:30
訳D.K

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