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[コラム]「コロナ時代」のメディア

登録:2020-09-28 02:45 修正:2020-10-02 19:17

多メディア多チャンネル時代には「政治的偏向性は利益になる商売」という俗説がある。それは長い目で見れば、メディアが自らメディアの権威を抹殺する「自分の肉を食らう」、いや「自ら墓穴を掘る」行為だ。メディアの行為の技術的可能性が限りなく広がっている状況において急増している、政治的偏向性を宗教的信仰とする「1人扇動家」たちと競争しようというのは、自殺行為にほかならない。

 今年4月、元米国務長官のヘンリー・キッシンジャー氏は「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が終息しても、世界は以前と決して同じにはならないだろう」とし「自由主義的世界秩序が去り、かつての城郭都市(walled city)時代が再び到来する可能性がある」と展望した。キッシンジャー氏以外にも多くの専門家が、COVID-19によって各国が国境を強化し、貿易や市民の移動を制限した措置が一時的なものに終わらず、「グローバル化時代」の衰退、「保護貿易時代」の復活につながり得ると警告している。

 もしそのようなことが起きれば、韓国のように対外依存度の非常に高い国が最も大きな打撃を受けることになるだろう。ならば、我々は防疫に最善を尽くすと同時に、コロナ以降に展開される世の中の変化にあらかじめ備えておくべきだろう。そのような点で「次世代政策実験室」を標榜するシンクタンク「ラボ(LAB)2050」が各界の専門家の知恵を集めて最近出版した『コロナ0年 超回復の始まり:破局を乗り越える新たな時代の想像力』という本は時宜にかなっている。

 特に同書の次の文章が胸に響いた。「明日よりは来年を見据え、1年後よりは10年後を見据え、私たちの生き方とこの社会を再構造化しなければならない」。だが、誰にその仕事ができて、また誰がやるべきなのか? 同書は「政府と政治の役割が他の時期より重要になる」とし「真っ先に論議せねばならないのはビジョンだ」と力説する。

 しかし残念なことに、我々はビジョンについて考えたり話したりはしていない。今、我々が最も大きな力を注いでいるのは党派闘争だ。もちろん、争っている双方とも、党派闘争という表現には同意しないだろう。「正義のための闘い」と言うだろう。だが、人類の歴史が始まって以来、あらゆる党派闘争がその程度の大義名分は持っていたのではないか。

 重要なのは、この争いはどちらも完全に勝利することはできないということだ。メディアや市民団体をはじめ、多くの国民すら事実上党派闘争に参戦しており、審判官は存在しないからだ。ならば、私たちが選択し得る現実的な道は、争いはやむをえず続けるとしても、あらゆる人のためのビジョンも模索する同時並行の道だ。現在の党派闘争は国民の生活とはあまり関係がないが、国民の生活中心のビジョンを模索すれば、そのような党派闘争について改めて考える省察が可能となるかも知れないからだ。

 ビジョンについての論議はメディアの役割だ。まずビジョンは「ニュース商品性」が落ちるという固定観念を疑ってみるべきだ。「ニュース商品性」が高いという争いについての報道と論評に重点を置いて来て、これまでに得たものは何か? メディアが敵味方に分かれて争ったおかげで、メディアの信頼度は下がっただけでは足りず、地に落ちているではないか。俗っぽく言うと、これは果たして「もうかる商売」なのか。一日二日だけ商売してやめるつもりなのか。遠い未来を見通せば大変なことになるのか。なぜその良い頭で「ビジョンの商品化」に努めることは考えず、争いにばかり執着せねばならないのか。メディアのことを「マスゴミ」と呼ぶひどい悪口に怒りを感じてこそ当然ではないのか。そのように怒れる根拠と動力を自ら作り出していくべきではないのか。

 デジタル革命による多メディア多チャンネル時代には「政治的偏向性は利益になる商売」という俗説がある。米国のFOXニュースがこの戦略で良い目を見ているのも事実だ。それで韓国メディアは、保守か進歩かを問わずこの戦略に追従しているのかもしれないが、それは長い目で見れば、メディアが自らメディアの権威を抹殺する「自分の肉を食らう」、いや「自ら墓穴を掘る」行為だ。メディアの行為の技術的可能性が限りなく広がっている状況において急増している、政治的偏向性を宗教的信仰とする「1人扇動家」たちと競争しようというのは、自殺行為にほかならない。

 公営放送は、政治的偏向性のある一部の番組について改めて検討すべきだ。偏向性の判別法は簡単だ。政権が替わっても今のようにできるのか。保守から進歩へ、そして進歩から保守へと政権が替わる度に、あの厳しい試練と苦痛に直面して来たのに、未だに感じ、学んだことがないというのか。すべての国民を包摂するビジョン中心のコンテンツに注力してほしい。

 ほとんどの国民は不動産価格の暴騰に憤り、同一労働に大きな賃金格差をつける身分差別に反対し、学校が階級闘争の道具に転落している現実に嘆き、いかなる差別もなく創意と革新のための競争が盛んに行われる世の中を望んでいる。これらの問題をめぐって、誰がより良いビジョンとアイデアを提示するかという競争をすべきだ。争うにしても、そうして得た国民的信頼があってこそ、完勝もできるのではないか。

//ハンギョレ新聞社

カン・ジュンマン|全北大学新聞放送学科教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/963790.html韓国語原文入力:2020-09-27 15:19
訳D.K

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