彼は日帝強占期、関東軍の憲兵だった 「密偵」として働き、成功する。植民地解放とともに咸鏡道の故郷へ帰ったが、親日容疑で逮捕され死刑宣告を受ける。しかし脱出に成功し、38度線以南へと渡ってくる。1947年、朝鮮警備士官学校を早々と卒業し、陸軍少尉に任官する。情報小隊の小隊長だった。麗順(ヨスン)事件をきっかけとして粛軍が本格化し、「反共」が猛威を振るったことで彼は出世する。朴正熙(パク・チョンヒ)少領(少佐に相当)を逮捕するなど、軍内の南労党を摘発し、1949年3月までに1500人にのぼる軍人を粛清する。業績の裏には拷問と捏造という闇があった。1950年9月、軍・検察・警察合同捜査本部長となり、人民軍占領時期の反逆者をあぶり出し、処罰する。1950年末までに15万3825人を検挙し、ソウルだけで1298人を処刑した。住民に人民軍の武器を配り、人民軍としてでっち上げ、虐殺した「三角山(サムガクサン)事件」、受刑者を釜山の金井山(クムジョンサン)に解放し、彼らを共匪(共産ゲリラ)として虐殺した「釜山金井山共匪事件」など、事件の捏造で悪名を轟かせる。36歳で陸軍少将に進級した彼は「李承晩(イ・スンマン)の右腕」とも呼ばれた。だが1956年1月、部下に射殺される。主犯のホ・テヨン大領(大佐に相当)は法廷で供述する。「彼が栄達のために分別なく人々を捕らえたため、共産党1人につき良民10人の割合で罪のない人々が犠牲になった。また殺人、略奪などで軍需品を横流しし、密輸して貯めた財産だけでも20億ウォンだ…」。白凡金九(キム・グ)を暗殺した安斗煕(アン・ドゥヒ)は1992年、自分の背後には彼がいたと告白する。2002年に「民族の精気を取り戻す国会議員の会」は、彼が含まれる親日派名簿を発表した。2009年に民族問題研究所が出版した『親日人名辞典』にも彼の名が載っている。彼の名は「金昌龍(キム・チャンリョン)」。韓国現代史の闇の化身。驚いたことに、彼は国立顕忠院(独立運動家や国家有功者を埋葬する国立墓地)に葬られている。銀星太極武功勲章を授与された「国家有功者」だからだ。
「国家報勲基本法」によると、「国家有功者」とは「独立」「護国」「民主」「社会貢献」という価値を体現した人々だ。また「報勲対象者」とは、国家有功者とその家族だ。国は「国家有功者等礼遇および支援に関する法律」に基づき、彼らを支援する。報勲給与金、教育支援、就業支援、医療支援、貸付、養老支援、養育支援などだ。2019年現在、国家有功者は独立有功者8036人、戦公傷軍警20万6745人、戦没殉職軍警5万2188人、参戦有功者28万4631人、その他含め計68万5681人だ。これに枯葉剤後遺症関連5万1793人、5・18光州民主化運動有功者4410人、特殊任務遂行者3786人、中長期服務除隊軍人8万9633人を合わせた報勲対象者は計84万3770人だ。「護国」という価値に関する対象者が圧倒的多数を占める。「独立」と「民主」関連の対象者は微々たるものだ。大韓民国が尊重する公的価値は事実上「護国」一つに過ぎないと言えるほどだ。その横に「独立」と「民主」、「社会貢献」が申し訳程度に存在する。これが韓国の報勲の実像だ。
このところ、「民主有功者法案」が物議を醸している。全泰壱(チョン・テイル)、朴鍾哲(パク・チョンチョル)、李韓烈(イ・ハニョル)を含む死亡者、行方不明者、負傷者829人を有功者と定め、当事者と家族に対して教育支援、就業支援、医療支援、貸付、養老支援、養育支援などを行うというのが法案の骨子だ。国家報勲基本法と国家有功者などの礼遇および支援に関する法律が定める通り、「民主」の価値を体現した人々を有功者と定め、礼遇しようというものだ。既存の84万3770人の報勲対象者と同等に扱おうというものだ。何か他の礼遇があるわけではない。国会予算政策処の法案費用推計書によると、同法の対象となる有功者本人と遺族の数は、多くても2025年の時点で3792人だ。2019年の報勲対象者84万3770人の0.45%にすぎない。こうした法案が、「586世襲貴族(586は1980年代の民主化運動に関わった1960年代生まれの人々を指す)」「公正の死亡宣告」などと攻撃されている。背景と脈絡を省略した中傷宣伝だ。正常が「非正常」と罵倒されている。筆者は、民主有功者法を攻撃する人々の背後に闇を見る。前述した国立顕忠院のキム・チャンリョンの墓だ。反共・軍事主義が強固に制度化されている国。大韓民国は1970年のチョン・テイルと1987年のパク・チョンチョル、イ・ハニョルが無視される、「いまだに」キム・チャンリョンの国なのだ。
パク・トクチン|大韓民国臨時政府記念事業会事務局長 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )