1979年12・12軍事反乱と1980年5月光州(クァンジュ)虐殺の主犯である全斗煥・盧泰愚 二人の前職大統領は陸軍士官学校11期出身だ。 正規4年制に変わった陸軍士官学校に入学して卒業した初めての期数であり‘陸軍士官学校の象徴であり同時に恥辱’として挙げられる期数だ。 だが、陸軍士官学校11期には政治軍人だけがいたわけではない。 軍部の政治介入に反対し抵抗した本物の軍人もいた。
現在は米国で牧会をしているチャン・ソギュン(80)氏がその一人だ。 陸軍士官学校11期チャン氏は中佐で予備役に編入して1970年代初めに米国に移民した。 ニューヨーク州立大大学院を卒業してエンジニアとして働き、牧師按手を受けた彼は現在‘南カルフォルニア韓国予備役キリスト将校会’会長だ。
チャン氏はすでに20年前に全斗煥前大統領と彼を中心に結成された政治軍人組織‘ハナ会’を批判する内容の回顧録<タンクとピアノ>を出した。 全前大統領が刑事処罰される前の1994年7月のことだ。 この回顧録には政治軍人が大統領だった時期、能力ではなく政治力で認められた政治軍人の実状とその俗物に抵抗した軍人の話が几帳面に記録されている。
"全斗煥氏とハナ会の誤った考えは、韓国の現実を直視できず、ドグマと幻想の中で軍隊が執権してこそ安保・秩序を維持でき国を救えるという、真に国民軽視の偏見の病巣が彼らの血液中に流れているところから問題が発生したといえよう。 これは傲慢放縦した思考の結果だ。"
チャン氏はハナ会を認めることはできなかった。 本当の軍人は政治ではなく安保に有能なものであり、本当の指導者は政治家ではなく部下を大切にしなければならないと思うからだ。 前職大統領である二人の同期生の威勢が依然強かった1994年、チャン氏の声はよどみなかった。
陸軍士官学校時期に全斗煥前大統領を教えたイ・ヨンニン区隊長が、全斗煥大統領就任直後の80年秋に米国にチャン氏を訪ねて来たことがあるという。 区隊長は生徒の訓育に従事した将校を称する。 その日の夜、二人は大いに酔った。 「君、韓国に行って全斗煥に会ったら、2中隊3区隊長イ・ヨンニンがあんたらに干城(カンソン、盾と城という意で信頼できる軍隊の意味)になれと言ったのであって、脱権までしろとは教えなかったとはっきり伝えろ。」 80年末に韓国を訪れたチャン氏は実際に大統領府を訪ねて行った。 大統領面会申請をし、理由欄に‘陸軍士官学校生徒の時、2中隊3区隊長イ・ヨンニン氏の口頭メッセージ伝達しに来た’と書き、面会は拒絶された。
チャン氏にとってハナ会は矛盾した集団だった。 「全斗煥と盧泰愚の主な参謀陣だったハナ会メンバーは全斗煥、盧泰愚を儒教的家父長として迎えることに汲々とした。 しかし金と権力についてだけは、徹底して反儒教的倫理観と道徳観念を持つ彼らだった。 彼らハナ会は早くから金と権力の甘い蜜に中毒した患者だ。」
<ハンギョレ>はチャン氏をうわさをたよりに長期にわたり捜したあげく、ようやく電子メールでインタビューできた。 彼に全前大統領とハナ会について追加で尋ねたが、チャン氏は健康状態が良くなく長く答えることはできなかった。 チャン氏は「拙著(<タンクとピアノ>)が紹介されるなら私としては大きな光栄」として軍の政治介入に対する反省は当時の回顧録の発言で替えた。 チャン氏は電子メールで同期である全斗煥前大統領が権力闘争で勝利した理由に関する見解を明らかにした。
チャン氏はハナ会を掌握した全斗煥の背後には、5・16クーデター直後に国家再建最高会議議長室秘書室長代理を務めたユン・ピルヨンがいたと話した。 「ハナ会のボスは全斗煥だった。 しかし実質的首長格であり絶対後援者はユン・ピルヨンだった。 ユン・ピルヨンの絶対的な専横でハナ会要員は事前に軍の核心要素に配置されていた。 すなわちユン・ピルヨンの助けでハナ会はすべての軍指揮部の要素に配置される権限を握っていた。 全斗煥に絶対忠誠をつくすハナ会メンバーと保安司という強大な情報手段を兼ね備えた全斗煥と、見かけの良い軍参謀総長との戦いでは全斗煥が絶対優位に立つしかなかった。"
12・12軍事反乱で全前大統領が勝利した理由は以下のように解きほぐした。 「歴史を遡ってみれば1955年も当時の特務隊(保安司を経て現在の機務司になる)長キム・チャンニョン少将と韓国軍満州軍派の実質的首長であったカン・ムンボン中将との派閥争いで、キム・チャンニョン暗殺事件があった。 キム・チャンニョンは暗殺されたが、特務隊の完全勝利であった。 それから25年の歳月が流れた1980年12月、保安司令官 全斗煥少将と陸軍参謀総長で当時の戒厳司令官との一本勝負でもやはり全斗煥の完勝だった。 全斗煥は保安司という手下の情報要員が重要要素に配置されていて、すべての軍部要員一人一人を監視していた。 だから全斗煥は前を見る目を持っていたし、チョン・スンファは全く部下の動態を見る目がなかった。 このような状況での勝負では保安司が勝って当然だった。」
チャン氏は現在80才だ。 電子メールに長く答えられないほど健康状態が良くない。 全前大統領の威勢が相変わらず強かった時から彼は、陸軍士官学校時代に "模範" と呼ばれてきた全前大統領を冷厳に叱った。 彼は、陸軍士官学校11期にクーデターを犯した政治軍人だけがいたわけではなく、真の軍人もいたという記録を後代に残したいと語った。
コ・ナム記者 dokko@hani.co.kr