「私はここに頼みに来たのではなく警告しに来たのです。不二越は最高裁判所(大法院)の判決に従い、強制動員の被害者に謝罪し、賠償すべきです」
27日午前10時、雪とひょうが交互に降りしきる富山県富山市にある機械・部品メーカー、不二越の株主総会の会場。日帝強占期の強制動員被害者の遺族、キム・ミョンベさん(93)は、同社の黒澤勉社長に対して堂々と訴えた。90代のキムさんが京畿道龍仁(ヨンイン)から日本の富山まで駆けつけたのは、強制動員の被害者だった亡き妻の恨(ハン)を晴らすためだ。妻の遺影を抱いて会場に入ったキムさんは「妻が生前に(不二越から)一言の謝罪も聞けなかったことに腹が立つ」とし、「ついに最高裁で勝った。不二越は(1965年に締結された)韓日請求権協定の後ろに隠れるな」と憤った。
キムさんの妻の故イム・ヨンスクさんは12歳だった1945年3月、国民学校(小学校)卒業を控えて日本人担任教師にしつこく説得されて勤労挺身隊に志願し、軍需企業の不二越に行った。「よい環境で稼げる」と言われて富山までやって来たが、現実は異なっていた。食べ物は足りず、1日8時間やすりで鉄を研いで飛行機の部品を作る仕事をさせられた。賃金も受け取れず、イムさんは解放から2カ月後の1945年10月、手ぶらで故郷に帰らなければならなかった。
イムさんは2003年、他の被害者たちと共に不二越を相手取って富山地方裁判所に損害賠償請求訴訟を起こしたが、翌年の2004年に突如この世を去った。日本での裁判も敗訴した。キムさんは妻に代わって2013年に韓国の裁判所に改めて提訴し、11年を経て先月25日に最高裁で勝訴した。最高裁で勝訴した原告は全部で41人。うち強制動員の直接の被害者は23人で、現在も存命なのは8人のみ。
「妻は悔しいから普段も不二越で働いていた時の話をよくしていました。その事情を知っているのに、どうしてあきらめられますか」
40年にわたって小学校の教師をしていたキムさんは「(日帝強制動員被害者支援)財団がくれる金は受け取れない。あれは妻が望むものではないから。死ぬ瞬間まで妻の遺志に従うつもり」だと強調した。
30年以上にわたって不二越の強制動員被害者の訴訟を支援している日本の市民団体「北陸連絡会(連絡会)」も、キムさんと連帯した。強制動員の被害者と日本の市民団体は不二越などの戦犯企業の株を確保し、株主総会で抗議する闘争を続けている。この日の株主総会にはキムさん、連絡会の会員の13人が参加した。連絡会の中川美由紀事務局長は株主総会で「日本で1992年に不二越を相手取った最初の訴訟が始まった。32年にわたって多くの強制動員被害者の賠償請求訴訟が行われてきた。不二越は(韓国の最高裁で)最終的に敗訴した」とし、「国際社会で信頼を得るために、未来のために、この問題の解決に積極的に取り組むべきだ」と述べた。
連絡会だけでなく東京や大阪などから駆けつけた日本の市民は、株主総会の開始前の午前9時から不二越の正門前で「被害者に謝罪し賠償せよ」、「私たちは必ず勝つ」というスローガンを叫びながら情宣をおこなった。これに対抗するかのように、日本の右翼団体は複数の車両を動員し、拡声器で「日本を出ていけ」、「請求権協定ですべて終わっている」と叫びながら妨害した。
尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権は、韓日関係の最大の争点である強制動員被害者に対する賠償について、日本企業に代わって日帝強制動員被害者支援財団が賠償する「第三者弁済」に固執しているが、このようなやり方では問題解決は難しいとみられる。尹政権の一方的な譲歩にもかかわらず日本企業が基金に参加していないことから、弁済のための資金は不足している。財団の基金はポスコなどからの拠出による40億ウォンに過ぎないが、全国の裁判所で被害者の勝訴が相次いでいるため、賠償金の総額は少なくとも150億ウォンを超えると推算される。
「第三者弁済」を拒否し、日本企業の「謝罪と賠償」を求める被害者も増えている。尹政権は財団からの受け取りを拒否している被害者や遺族の賠償金を裁判所に無理やり供託するというやり方でこの問題の早期決着を図ったが、裁判所が相次いで棄却決定を下したことで、これにはブレーキがかかっている。
不二越の株主総会に参加した民族問題研究所のキム・ヨンファン対外協力室長は、「尹政権の『第三者弁済』は韓国最高裁の判決を無視し、歴史の時計を逆に回そうとするもの」だとし、「被害者の要求を単なる金の問題に変質させて不当な選択を強要する反人権的な行為」だと批判した。そして「第三者弁済はすでに破綻している。被害者は歴史を正し、人権を回復するための闘争を決してあきらめないだろう」と強調した。