9月16日(現地時間)、イランの首都テヘランで、ヒジャブをきちんとかぶっていなかったとの理由で道徳警察に捕まった22歳のマフサ・アミニさんが死亡した。アミニさんの診療記録を見た医師たちが、殴られて死亡した可能性を提起したことで、イランの女性たちは怒った。翌日から「女性、命、自由」を叫ぶイラン反政府デモが起き、デモは2カ月目に入った。その間の死者は200人を超え、中高校生から1979年のイスラム革命を経験した世代までもが街頭に出ている。彼らはなぜ勇猛なライオンのようにデモを続けているのか。イランの青年世代を研究してきたソウル大学アジア研究所のク・ギヨンHK研究教授が、デモ参加者に問いを投げかけた。街頭に出た「テヘランの獅子たち」が答える。(編集者)
「今日(10月8日土曜日)11時、バザール(伝統的な市場)商人協会、全国小商工人協議会をはじめとして、全国で大規模デモを計画しています。なので万が一に備えて、デモ隊に配る食べ物や薬品を準備しています。今回もどれだけ多くの人命被害が出るか…。どうかイランの平和のために祈ってください。午前2時過ぎにならないとテヘランからはインターネットがつながらないので、急いでメッセージを送ります」
首都テヘランに住む40代後半の主婦、マリヤムさん(仮名)から緊急メッセージが届いていた。24時間たてば消えてしまう彼女のインスタグラムのストーリーには、デモに関するポスティングが絶えず上がってくる。イラン現地時間の未明にvpn(仮想専用通信網)をつなげば、イラン政府のインターネット規制がしばらく避けられるからだ。
イラン人たちは検閲と追跡に備えて掲示物ではなくストーリーに短い動画、写真、そして自分の考えを記す。マリヤムさんは最近も14歳の少年の切ない死を写した写真を載せつつ、哀悼のメッセージを送った。
イランの首都テヘランのバザールで事業を営む夫と安定した生活を送っているマリヤムさんは、勉強のできる息子と娘を誇りに思いながら平凡に暮らしてきた。しかし今回のデモで、彼女は悲壮なデモ隊の一員となっていた。
1カ月前、イラン反政府デモが始まるやいなや、マリヤム夫婦はデモが主に行われるエンゲラブ(革命)広場の近くにある自分たちの建物の1階の入り口を開け放ち、デモ隊の避難場所として提供した。彼らはデモ隊のために毎晩簡単な食べ物と水、救急薬を用意した。
怪我をしても捕まることを恐れて病院に行けない負傷者のために、応急処置の方法も学んだ。自分たちの建物の監視カメラ(CCTV)がとらえた、デモ隊が避難し、保安軍が長い棍棒で建物の窓ガラスを割る映像を、海外の通信会社に提供したりもした。
現地時間9日午前2時半、韓国時間同日午前8時。マリヤムさんは私にワッツアップアプリのメッセージで電話をかけてほしいと頼んだ。ワッツアップで電話に出た彼女の声は涙ぐんでいた。
「夫が危なく銃で撃たれるところでした。今日、全国のバザールでは流血事態となりました。保安軍が撃った銃弾が2階の事務所の壁に突き刺さってしまいました。本当に死ぬところでした」
彼女は吐き出すように、なぜ危険な状況にもかかわらずイランの市民たちは身一つで街頭に出ざるをえないのかを説明した。
「私たちもよく知っています。この政権の下では劇的な変化は期待できないということを。でも、私たちの子どもたちにこんな世の中でこれ以上生活させることはできません。私たちの子どもたちがなぜ自由もなく政権の奴隷として生きていかねばならないのですか。今、ここの人たちは日々食べていくことを心配しています。パンさえ買うお金がないんですよ。こうして生きようが、こうして闘って死のうが同じことです。私たちはこの闘いをやめることはできません」
彼女の言う通り、今イランでデモをしている人々は、このデモの結末が決して希望に満ちたものでないことをよく知っている。また、現政権が簡単に引き下がらないだろうこともよく知っている。しかし自由と平和、何より人権を渇望するイラン市民の願いと怒りは、恐怖に打ち勝つだろうと確信する。彼らは再びスローガンを叫び合う。
「Irani Mimirad, Zelat Nemipazirad!!(私たちは死ぬ。しかし屈服はしない)」