戦争が始まった。彼女はバレエシューズを脱いで、軍靴に履き替えた。戦争はバレリーナを「戦士」に変えた。
17日(現地時間)昼、スビトラーナ・レグラ(44・Svitlana Legra)さんがボロジャンカ市人道支援部署の事務室に入ってきた。皆が心から湧き出る明るい笑顔で彼女を迎えた。彼女を知らない人は誰もいないようだった。濃いオリーブ色のキャップとTシャツ、ズボン…軍人であることが一目で分かった。
人道支援部署はボロジャンカ第2学校1階の教室を事務室として使っている。この学校を除き、すべての役所が破壊されたためだ。ウクライナの首都キーウ郊外の都市、その中でもボロジャンカはロシア軍の爆撃が最も激しかったところだ。ここに家があったことすら分からないほど、完全に崩れ落ちた建物が多い。キーウ周辺都市の中で経済水準もそれほど高い方ではない。
「(軍服姿が)ぎこちなく見えますか?実は、私は文化大学でバレエを教える先生です」
バレリーナのスビトラーナさんは今年3月、地域防衛隊に合流した。戦争が始まった2月24日、キーウでボランティアとして働いていたことがきっかけだった。彼女は戦争初期、キーウに避難民のための一時避難所を開き、100人以上の人々と一緒に生活した。人々をケアすることから始まり、のちには前方の軍部隊やロシア軍に占領された都市の病院に各種物資や救護品を送った。このため、同僚たちと大型倉庫3カ所を設けた。だが、市民として「後方支援」を行うのはいろいろな困難が伴った。
「信頼できない人が多かったんです。物を盗む人たちや攻撃的な人たち…良くない経験をたくさんしました。それで、地域防衛隊に警備を要請したんです。私たちの建物には子どもたちが住んでいるし、重要な医薬品があったから」。真夜中に倉庫の前を守り、隊員たちを助ける姿を見た地域防衛隊の司令官は、彼女に「地域防衛隊に参加してほしい」と要請した。スビトラーナさんは快く提案を受け入れた。その時から前方の軍支援に参加し、陸軍基地と病院を駆け回った。地域のあちこちを訪れ、戦争の中で苦痛を強いられた人々を慰めるため、バレエシューズを再び履いて公演も行った。スビトラーナさんと仲間たちはボロジャンカをはじめ、キーウ郊外の村で8回公演を行った。そのたびに、同僚たちはスビトラーナさんに「(軍人が)軍靴の代わりにバレエシューズを履いたのか」とからかった。
スビトラーナさんは地域社会の救護活動とともに、地域防衛隊として射撃練習などの軍事訓練を受けなければならない。そのたびに同僚たちは、スビトラーナさんの射撃姿勢が「優雅すぎる」と冗談を言う。決まった時間に特定の場所で警備にも当たる。ボロジャンカのようにロシア軍に破壊された都市を訪れ、家作りを助ける一方、冬用暖房機器も調達する。激戦が繰り広げられている東部戦線の兵士たちに送る食糧や戦闘服を手渡すこともある。「指揮官は私が一番うまくできる仕事を続けさせてくれます。警備に当たるより、車を運転して人々を助けることの方が私にとってより意味があることをよく知っているので。家にいる時間より、現場にいる時間の方が長いんですよ」
スビトラーナさんのベルトにはホルスター(銃を入れるもの)のフックが付いているが、彼女は最近、銃を持ち歩かない。「すぐ取り出せるところに銃を保管しているけれど、人々に見られるところには持っていきません。市民と子どもたちが銃を持った人を怖がるから」。地域防衛隊に入ってから2カ月までは常に銃を持ち歩いていたが、今はしばらく銃を下ろしておく。
戦争の展望を尋ねる取材陣の質問に、スビトラーナさんは「早く終わってほしい。軍人たちがこれ以上死なないでほしい。死者が多すぎる」と話し、目を潤ませた。しかし、すぐに断固とした声で「それでも、ウクライナは偉大な国。それを世界に示しました。我々が団結したから100パーセント勝つはず」と語った。「私たちが我が国の領土を守っているからです」。戦線の仲間たちを思えば胸が張り裂けそうだが、それでもウクライナは決してあきらめないという決意に満ちた表情だった。
「疑う余地がありません。何があっても私は他国の旗の下では暮らせません。奪われたクリミア半島とすべての領土を解放しなければなりません。再建しなければなりません。 私たちはまたウクライナのクリミア半島を取り戻すでしょう」
2021年12月、ロシアのウクライナ侵攻が全面化される直前、ウクライナ女性5万7千人がウクライナ軍に服務中だった。軍全体の22%にのぼる数だ。このうち3万2千人が実際の軍事作戦に投入される。スビトラーナさんのようにウクライナ地域防衛隊(予備軍、市民軍)として服務中の女性は、今年初めの基準でウクライナ地域防衛隊全体の8%を占める。