ロシア軍の攻撃で破壊された都市を再建することは、キーウ北西の都市の最優先課題だ。冬の凍える寒さが訪れる前に、居場所を失った市民がくつろげる空間を「早く」作らなければならない。ロシア軍が首都郊外を襲った3月、イルピンやブチャ、ボロジャンカなどキーウ北西の郊外都市の水道や電気、通信関連施設が全て破壊されたが、都市の再建努力によって6月現在、これらの基盤施設は90%程度復旧した。だが、暮らしには欠かせない条件の一つである「住居」問題を1、2カ月で復元することは現実的に難しい。莫大な規模の財産被害が発生しており、時間はもちろん予算も足りない。ポーランドなど近隣の欧州諸国や国際慈善団体の支援、そして共同体の力を合わせて再建事業を進めているが、困難が多い。本紙はキーウ現地で郊外の主要都市と村の人命・財産被害を調査し、各都市が進めている都市再建事業の現況を取材した。
18日(現地時間)午後5時、キーウ郊外のイルピンを通る鉄道の真ん中に新しく「村」が誕生した。公式名称は「鉄道の上の小さな村、イルピン」(以下鉄道村)だ。ウクライナ国営鉄道会社と郵政当局、そしてイルピン市が、長さ24メートルの列車7台を連結し、仮設住宅を作った。戦争で家を失った市民のための臨時宿舎だ。
鉄道の上にできた小さな村
列車に乗って出発した「旅」の終着点であるイルピンは、ウクライナの首都キーウの中心から北西に25キロメートルほど離れた郊外都市だ。ロシア軍は今年2月24日、ウクライナに侵攻した後、ウクライナのゼレンスキー政府の「斬首」(交代)を狙って首都キーウに進撃した。キーウへと向かう道にある都市イルピンでは、首都へと進もうとするロシア軍とウクライナ軍の間で熾烈な戦闘が繰り広げられた。ロシア軍はイルピンを占領することはできなかったが、3月末まで続いた激戦で、この都市の半分以上が破壊された。イルピンに特にひどく破壊された建物が多いのはそのためだ。住宅1100軒以上が破壊され、住宅団地150カ所が破損され、この内45棟は完全に破壊された。民間人約300人が死亡し、軍人は約50人、国土防衛軍(予備軍)38人が戦死した。人口10万の都市イルピン市民のうち95%が避難し、現在半分ほどが戻ってきた。
18日(現地時間)現在、鉄道村には47人が入居申請をした。1週間ほど前から26人が暮らしている。全長160メートルを超える列車には、シャワー車や食堂車が1つずつ、そして寝台車が5つある。寝台にはそれぞれ特別な名前が付けられた。アンジェリーナ・ジョリーなどウクライナ鉄道を通じてこの国を訪問した俳優や歌手、サッカー選手など有名人の名前を取った。例えば「ジョリーハウス」、「ボノ(アイルランド出身のロックバンドU2のメンバー)ハウス」などだ。食堂車に設置された2人用テーブルの上にはWi-Fiのパスワードが書かれている。食堂車には電子レンジから冷蔵庫などが備えられている。ここでは国際慈善団体「ワールド・セントラル・キッチン」が食事を提供している。列車は今回の戦前に生産され、試験運行を行ったばかりの新しいものだ。
鉄道村では国土防衛軍が村の入口を24時間守っている。入居者カードがある人だけが中に入ることができる。寝台車の各部屋にはロック装置があり、廊下には防犯カメラが設置された。列車の車両ごとに鉄道会社の関係者が常駐し、入居者の苦情を処理する。村の規則は四つ。第一に、ここをあなたの「家」だと思うこと、第二に、互いを尊重し(列車の中では)喫煙、飲酒、大声で歌うのは禁止、ウクライナの他の都市と同じく、通行禁止時間(夜11時~夜5時)を守ること、第三に、ベッドシーツは毎週担当業者を通じて洗濯に出すこと、第四に、ゴミは決められた場所にまとめて捨てることだ。
冬が訪れる前に住民たちの住居地を確保するのが都市の最優先課題だ。イルピン市のオレクサンドル・マルクシン市長(42)は「家を失った人たちが泊まるところが今すぐ必要だが、1、2カ月以内にこれだけの多くの家を建てることはできない」とし、「鉄道村は冬になる前に人々に家を用意するために鉄道当局と協力して実現した事業だ。もちろん『臨時のもの』になることを願う」と述べた。
鉄道村は戦争によって作り出されたが、市民にとっては希望の空間でもある。崩れ落ちた家を眺めながら絶望に陥った人たちには、立ち直れるという勇気を与える空間だ。戦争に多くのものを奪われたが、泣いてばかりではいられない。残された人々は今日、そして明日を生きていかなければならない。
日が暮れる頃、鉄道村の前庭に広がる青い芝生は暖かい日差しを含んで輝いていた。芝生の上の木で作った簡易テーブルにはジュースや果物、おやつが用意されている。テーブルの後ろ側の火鉢では、バーベキューが香ばしい香りをたてていた。子どもたちのための遊び場や、日光浴をしながらしばし横になれるハンモック、簡易ソファーまで用意されていた。一角には村の住民なら誰でも利用できる共用電気自転車、子どもたちが乗って遊べるキックボードも新しいもので揃えられていた。暗くなれば住民たちは庭に設置された大型スクリーンで映画を見たりもする。
村のすぐそばでは、別の線路を列車が行き来していた。ウクライナ鉄道会社の職員のオレクシさん(34)は、「ロシアがもしまた侵略してきた場合は、この列車を直ちに動かし、真っ先に脱出させることもできる」と話しながら笑った。戦争が終わってこの鉄道の上の村が消えれば、再びこの道を列車が走るだろう。オレクシさんは「我々にとって一番の目標は、ここで暮らす人たちがまるでキャンプに来たように安らかさを感じられること」だとし、「寝台の客室には2人ずつ入る。最大100人まで入居できる。残った空間は倉庫として使うことになる」と語った。4人用の客室にはベッドが両側に上下に4台ずつ設置されているが、住民の快適な暮らしのために、各客室に2人ずつだけ利用できるようにする方針だ。
1週間ここで生活した入居者のオレクサンドルさん(53)は「ここに一生暮らすことはないだろうが、必要なものが全部揃っている」とし、「今すぐ家を建てるのが難しいことはよくわかっている。これ以上必要なものはない」と話した。彼の自宅は3月の激戦で完全に破壊された。
この村の入り口の塀には、黄色い郵便ポストが設置されていた。村の住民たちは、はがきにウクライナの列車が描かれた切手を貼って世界のどこへでも送ることができる。母親と一緒に村に入居した少年ブラード君(12)はこの日、一生懸命書いたはがきをポストに入れた。「こんばんは、我が軍のおじさんたち。健康でいてください。おじさんたちがロシアの『オーク(モンスター)』たちを追い出してください。ウクライナに栄光を!鉄道の上の村に住むブラードより」
(2)へ続く