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[ウクライナ・ルポ]故郷に帰ってきたが…家がなくなり列車で暮らす(2)

登録:2022-06-20 06:27 修正:2022-06-20 10:05
ロシア軍攻撃を受けたキーウ郊外都市を現地取材 
ポーランド、モジュールハウスなど支援するが 
冬の寒さをしのぐには不十分
再びウクライナの現場を行く//ハンギョレ新聞社

モジュールハウスができたが

 17日午前、キーウから北西に60キロメートル離れたボロジャンカ市。この都市で破壊されずに残ったたった一つの学校、ボロジャンカ第2学校の2階に位置する市役所の事務室では、早朝から会議が開かれていた。会議の主な内容は「都市再建」。会議は2時間以上続いた。市当局は切羽詰まっていた。

 今年2月28日、ロシアはベラルーシを通じてこの都市を攻撃してきた。第2学校を除いた学校や幼稚園、裁判所、警察署などの行政機関49カ所が完全に破壊された。都市のすべての役所は第2学校の建物に集まらざるを得なかった。一つの教室には市役所が、もう一つの教室には警察署が入っている。住宅団地12カ所(710世帯)、個人住宅約100軒など、建物384棟が完全に崩壊した。一部が破損した建物は数えきれないほどだ。電気を供給する変電所や水道施設はすべて破壊された。ボロジャンカは近隣のイルピンやブチャより貧しい、農業を主な産業とする都市だ。

17日(現地時間)午後、ウクライナ・ボロジャンカ市内の住商複合ビルが破壊され、真っ二つになっている=キム・ヘユン記者//ハンギョレ新聞社
17日(現地時間)午前、ウクライナ・ボロジャンカの裁判所の裏にある住宅に住んでいた男性(右の写真)が廃墟と化した家の前で、戦争直後の状況を説明している=キム・ヘユン記者//ハンギョレ新聞社

 ボロジャンカが他の地域より大きな被害を受けた理由がある。ここはロシア軍がキーウに進撃する道の中で、最初に位置する都市だった。ボロジャンカには軍事基地がなかった。首都からもかなり離れており、対空防御に脆弱だったため、ロシア軍はこの都市の空を自由に飛び回りながら爆弾を落とした。その下には市民の家があったが、彼らには慈悲がなかった。「私たちの村をお手本にして、他の都市にも脅しをかけようとしたのだろう」。ボロジャンカ市のヘオルヒ・イェルコ市長が語った。倒壊した建物の下で発見された遺体だけで、現在まで41体。工場や個人事務所が全て破壊されたため、現在この地域ではいかなる生産も行われていない。人々はみな職を失った。ロシア軍が退却した後、都市は全壊した建物と破壊された車で足の踏み場がなかったという。

 戦争が起きる前、この都市の人口は1万4500人だったが、3月当時には住民たちが避難し、都市には1000人程度だけが残っていた。6月現在、避難していた市民たちが戻り、7000人ほどが暮らしている。家を失った住民たちは隣人や友人の家の部屋で一緒に生活している。都市は近隣の大学の寮などを動員して住民の住む場所作りに努めているが、依然として400人以上の住民が寝泊まりするところを探している状態だ。

 この都市が再建事業の一環として導入したのは、ポーランド政府が支援した「モジュールハウス」(組み立て式住宅)だ。ウクライナ中央政府の予算支援だけでは都市を立て直すことは不可能だ。モジュールハウスは2段ベッドが2つ、小さなクローゼットが入ればいっぱいになる2、3坪余りのコンテナの仮設住宅だ。ポーランド政府は、ボロジャンカをはじめウクライナの都市にモジュールハウスの建設を支援している。その中でもボロジャンカにはこのような住宅が最も多く、「タウン」(村)という名前がついた。6月現在、380軒が設置されている。今後、ボロジャンカ市は190軒余りをさらに設置する計画だ。

17日(現地時間)午後、ウクライナ・ボロジャンカのサッカー場の隣に今月1日に設けられたモジュールタウンの外部の様子=キム・ヘユン記者//ハンギョレ新聞社
17日(現地時間)午後、ウクライナ・ボロジャンカのサッカー場の隣のモジュールハウスに住んでいるムコラさんのベッドの横にラジオが置かれている=キム・ヘユン記者//ハンギョレ新聞社

 モジュールハウスは生活の「必要最低限」の条件を満たす仮説住宅だ。2週間前にモジュールハウスに入居したムコラさんは「リビウに避難して戻ってみると、家は倒壊し、大きな穴だけが残っていた」と話した。彼が住んでいたアパートは、ロシア軍の爆撃で元の形が分からないくらい破壊された。残骸が片付けられ、現在は大きな穴があいた跡だけが残っている。モジュールハウスでの生活に満足しているかを尋ねると、ムコラさん「行き場がないから、選択肢がない」と答えた。モジュールハウス内部にはエアコンなど基本的な冷・暖房施設が備わっているが、冬の寒さをしのぐには不十分だ。

冬の前に永久住宅を完工する会社を探して

 ロシア軍の「民間人大虐殺」の蛮行が明らかになり、世界の怒りを買った郊外都市のブチャも、ボロジャンカ市同様、モジュールハウスで市民に仮設住居地を提供している。

 この都市で破壊された建物と家は計3000棟以上にのぼる。市当局はこのうち半分以上に対する調査を終えており、復旧の可能性の有無や酒類を点検している。市の調査によると、民間人住居地を含む各種建物372棟が完全に破壊され、2343棟は一部が損傷した。完全に崩れ落ちたわけではないが、復旧が難しく撤去が必要な建物は212棟だ。

 ロシア軍は今年3月、この都市を占領して退却した後、都市は廃墟と化した。あちこちで電柱が電車にぶつかって倒れていた。電気とガスの供給が行われなかった1カ月間、住民たちは市が支給した約700本のガスボンベを使い、路上で料理を作って食べた。

ウクライナのブチャに住んでいたが、ビンニツァに避難してから、現在はポーランド政府が提供したモジュールハウスで家族と暮らしているボジェナちゃん(5)が15日(現地時間)午後、ブチャのモジュールハウスの保育園で寄付されたおもちゃで遊んでいる=キム・ヘユン記者//ハンギョレ新聞社

 ブチャ市の場合、6月現在、モジュールハウス174軒を確保した状態だ。現在47世帯が入居している。モジュールハウスの入居は、市民が入居を申請すれば、市当局が当事者の家の破損状態を確認した後、順次配分する。一部のモジュールハウスは住民の家の前庭に設置された。

 ブチャ市の職員、ドミトロ・ハプチェンコさん(44)は、「(モジュールハウスは)一時的な解決策に過ぎない」とし、「冬が来ており、モジュールハウスは人々が暮らすにはあまり快適ではないだろう。現在、永久住宅を早めに建てられる会社を探している。(工事期間)1年も長すぎる」と話した。

 これら都市の再建の最優先課題が家であれば、2番目の課題は学校だ。9月になる前に子どもたちが通う学校施設を整備しなければならない。しかし、大半の都市が学校再建プロジェクトのための予算をまだ設けられていない。

イルピン・ボロジャンカ・ブチャ/ノ・ジウォン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/europe/1047588.html韓国語原文入力:2022-06-20 02:15
訳H.J

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