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韓国では平凡、日本では傑作…高麗茶碗の謎

登録:2024-03-20 08:55 修正:2024-03-20 13:34
ノ・ヒョンソクの時事文化財
「魅惑の朝鮮陶磁」展に出品された鶴の絵が入った16~17世紀の朝鮮時代の茶碗。釜山浦の日本人居留地である倭館で作業をした日本の職人がその中に窯を作って焼いた独特の作品だ=根津美術館提供//ハンギョレ新聞社

 この過去の器は韓国の私たちには平凡なものにみえるが、日本人たちはなぜ、最高傑作あるいは貴重なものとみて感動するのだろうか。

 先月から東京の青山通りにある根津美術館の1階展示室で絶賛開催中の2つの企画展「魅惑の朝鮮陶磁」と「謎解き奥高麗茶碗」(それぞれ今月26日まで)に主役として登場した多くの高麗茶碗の名作は、このような問いを新たに思い起こさせた。

 韓国の愛好家や美術史研究者の間ではよく知られた事実だが、高麗茶碗は高麗時代の茶碗を総称する言葉ではない。粉青沙器と白磁間の境界で「マクサバル」と呼ばれた朝鮮時代の平凡な食器だ。朝鮮時代初中期の15世紀から、陶磁職人がなにげなく食器に使おうとして適当に作ったものを、16世紀に茶文化を愛好した日本の武士権力者や貴族、文人が、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の前に日本に偶然流れてきたこうした器などを見てすっかり惚れこみ、自分たちの静寂で細やかな美意識を投影し、自分たちの審美的な鑑賞の対象にした。

 そのため、模様もなく所々にひび割れがあったり穴が開いていたり、下の高台は釉薬すら塗られていないか大雑把に塗られた跡を見て、彼らは感激する。春夏秋冬の季節が変わるたびに感じさせる鮮烈な季節感や、孤独で窮屈な人生の情緒を質感でみせてくれるといった、しばしば「もののあわれ」に代表される日本人のわびさびの情感を品格高く示してくれるといった賞賛を浴びせる。何の作為も加えずに作るということと、人生に忠実な無位と無心の美学で白磁と青磁を眺める韓国人の審美観としては、納得するのは難しく、同感することさえ容易ではない。

 根津美術館の展示は、このように克明に美感と観点が異なる高麗茶碗を2つに分けて今回の展示に出した。「魅惑の朝鮮陶磁」展では、朝鮮の地で製造された一種の「オリジナル」である原作品であり、日本の茶人たちが絶賛した朝鮮特産の高麗茶碗の名作16点を、「謎解き奥高麗茶碗」展では、主に日本の九州北部の唐津地域で朝鮮茶碗をモデルに制作されたと推定される日本の茶碗の名作「奥高麗茶碗」の主要作品34点を出展した。

 日本の現地の有名な所蔵者に交渉して、自身の美術館の所蔵品とともにひとつに集めて出品したものであり、国公立の展示館にまれに出品された高麗茶碗の主な名作を原作品と模倣品まで網羅して見ることができる展示は、事実上初めてといっても過言ではない。それだけに、韓国と日本の陶磁器にまつわる多彩なスペクトルと視線の地政学を見ることができるという点で、意義深いといえる。日本の私鉄である東武鉄道の経営者だった根津嘉一郎が1941年に建てた古美術品専用の美術館で、日本の「リウム」(サムスングループの創始者が建てた美術館)という異名も持つ根津美術館の見識と品格を十分に感じさせる。

 朝鮮で生産された高麗茶碗は「魅惑の朝鮮陶磁」展の5番目の項目として展示されており、高麗茶碗の始まりとされる印章模様を白土の上に密に描いた15世紀の印花紋茶碗から始まる。1~4項目は、三国時代と統一新羅時代の長頸土器や形の整った土器注子、経典を入れた家の形の高麗青磁厨子、みずみずしい植物模様が四方にある朝鮮時代の青花白磁壷などを通して、朝鮮陶磁の独創的な伝統を一通り紹介し、高麗茶碗の登場の背景が、土器や青磁、白磁、粉青沙器などの伝統から始まったことを明確にみせている。

根津美術館1階「魅惑の朝鮮陶磁」展と「謎解き奥高麗茶碗」展の会場入口。左に2つの展示のポスターが貼られ、右には中国の北斉時代の仏教彫刻の名作である如来立像が守門将のように入口の前に立っている=ノ・ヒョンソク記者//ハンギョレ新聞社

 スタンプを押したような印章模様から始まり、梅の花や切り株模様、クジラの皮の模様などに例えられる高麗茶碗特有の釉薬の跡と、釉薬が少しだけ付けられた土台の模様の変遷過程を示した後、朝鮮時代の高麗茶碗が次々と登場し、形式的な変容の過程とそれに対する日本人の好みが変化する過程をみせる。このような過程が蓄積され、朝鮮に日本の好みに合わせて注文するようになり、ついに朝鮮後期には釜山(プサン)の倭館に徳川幕府の将軍が描いた絵を手本として注文された茶碗が登場し、朝鮮絵画のスタイルもあらわれた鶴と蘭の模様が表面に施された茶碗まで、朝鮮で生産された陶磁を背景に多彩に展開していく彼ら独自の茶碗の好みの歴史が繰り広げられている。

「謎解き奥高麗茶碗」展示場の内部。壬辰倭乱後の16~17世紀、朝鮮の慶尚道熊川の窯などで生産された日常生活用の雑器の影響を受け、九州の唐津地域で生産された奥高麗茶碗の名作34点が観客を迎える=根津美術館提供//ハンギョレ新聞社

 「謎解き奥高麗茶碗」の企画展では、これらの茶碗が17世紀に日本の唐津地域でわずか20年ほどの間に生産された独特の器種だという点をはじめに提示し、日本現地の文化に朝鮮職人の高麗茶碗の美学が独特に融和される過程を実物を通じて描きだしている。拉致されたり招かれたりして渡日した朝鮮の職人が作ったものと推定される慶尚南道熊川(ウンチョン)地域の窯の器の影響を受けた作品から、京都地域の貴族や武士の好みに合わせて商人が注文し日本独自の点や釉薬の跡、かすかなにじみ模様などが現れた様相など、30点ほどの作品を展示している。

裏庭からみた根津美術館本館=ノ・ヒョンソク記者//ハンギョレ新聞社

 2つの地域は玄海灘で隔てられているが、海を渡って行き交った美意識と好みの交流、そして何より、陶磁器の交易とモデルの輸出を通じて、朝鮮と日本は宿命的に互いにメッセンジャーにならざるをえないことを、展示はみせてくれた。驚くべきことは、2つの展示を企画した主役が、85歳の東アジア陶磁史の国際的権威である西田宏子さんだという点だ。西田さんは数十年前から、韓国と日本の陶磁器交流史はもちろん、シルクロードにも縁がある青白磁交易のルートを探り、韓国と中国、シルクロードの踏査に生涯をささげ、その最後の飾る作品として、今回の高麗茶碗の展示を企画した。変わることのない学問的情熱で高麗茶碗の新たな実状を示した西田さんの成就に、畏敬の思いを感じた。

展示場に出品された奥高麗茶碗の名作の一つで「二見」と名付けられた茶碗=根津美術館提供//ハンギョレ新聞社

 一方、近くの乃木坂駅の目の前にある国立新美術館では、韓国人キュレーターのユン・ジヘさんが企画した「遠距離現在 Universal / Remote」(6月3日まで)が開催されている。コロナ禍での不安と実存をテーマに、韓国と日本、欧州、米国の作家の様々な映像、絵画、写真の作品を集めたが、コロナ前の社会的不安と矛盾などを込めた作品を通じて、コロナ時代を回想して省察する構図が興味深く感じられる。すぐ上の階で開催中のマティス名作展「自由なフォルム」(5月27日まで)も見逃せない。17世紀のオランダのバロック静物画や印象派の作風を連想させる光の構図が充満した初期作品と、「ジャズ」「ブレッソン」などに代表される後期や晩年期の切り絵作品集、そして、晩年の傑作に挙げられるヴァンス礼拝堂のステンドグラスや壁画、祭壇などがいきいきと再現された立体空間が、観る人を魅了する。

東京/ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/music/1132932.html韓国語原文入力:2024-03-19 20:03
訳M.S

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