演劇一筋だった俳優オ・ヨンス(78)が「イカゲーム」でグローバルスターになった。80歳を目前に控えたベテラン俳優は、韓国人俳優として初めて米国ゴールデングローブのトロフィーを獲得した。10日午前(韓国時間)に行われた第79回ゴールデングローブ授賞式で、オ・ヨンスは「テレビドラマ」部門で助演男優賞を受賞した。
オ・ヨンスは「イカゲーム」に参加番号001番をつけた「オ・イルナム」として出演し、特有の優しい笑顔で、まるで子どものようにゲームを楽しむ一方、残酷になっていく参加者たちに警鐘を鳴らす役柄を演じた。ドラマの序盤、注目されなかった「オ・イルナム」は脳腫瘍を患っていることを隠したまま、視聴者たちを大どんでん返しに導く。認知症の老人、子どものような無邪気な姿、人生を達観する理知ある老人など多彩な演技で世界の人々の心をつかんだ彼は、特に主演のイ・ジョンジェ(ギフン役)とクスルチギ(ビー玉遊び)の場面で「私たちはカンブ(遊びで同じチーム、信頼を置く友だち)だろう?」というセリフで大きく注目された。本紙とのインタビューで、オ・ヨンスはその場面で実際に泣いたと語った。「その場面を撮る時、私も泣いた。正直に生きてきたギフンが生き残るために(イルナムを)騙すのを見て、人間の限界を感じた。最も人間的な姿を見て涙がこぼれた」。50年以上演劇舞台に立ったベテラン俳優の揺るぎない演技力が輝く瞬間だった。
オ・ヨンスは24歳だった1967年、劇団「広場」に入団し、俳優としての道を歩み始めた。入団から1年後、「昼の公園の散歩」(1968)で舞台デビューした。その後、劇団「星座」の「ロムルス大帝」で助役を経て、1971年に劇団「女人」に入団した。ここで初めて主演を務めた。マーロン・ブランドの映画で有名な「欲望という名の電車」で、主人公スタンリーとして舞台に上がった。演劇の世界に飛び込んでから3年後だった。
オ・ヨンスは1993年に演劇「咲いては散り、また咲いては散り」の舞台に立ち、翌年の百想芸術大賞で演技賞を受賞した。70歳を迎える往五、天竺、国伝の3人の老人が「新往五天竺国伝」という盗掘プロジェクトを作る過程で起こる騒動を描いた演劇だ。 宝物を通じて人間の持つ欲望のしつこい未練を「待つ」ということで解いてみせた。
オ・ヨンスは本紙とのインタビューで、「賞は俳優が舞台で演技した結果だと思う。しかし、当時は授賞式には出席できなかった。授賞式が行われるときも、舞台に立っていた」と振り返った。
彼はこれまで「リア王」や「ファウスト」、「咲いては散り、また咲いては散り」など200本以上の演劇に出演した。生涯をかけて舞台に立ち続ける彼の演技について、演劇評論家のキム・ソヨン氏は「脇役でも役柄の特徴をしっかり捉え、きちんと見せてくれるベテラン俳優」だとし、「大袈裟でも、物足りなくもない、自然な演技に長けた俳優」だと評価した。
彼は2003年、故キム・ギドク監督の「春夏秋冬そして春」(2003)に出演し、老僧を演じた。オ・ヨンスは、この作品が自分にとって最後の代表作になると思ったという。「映画を撮った後、その映画が最後になっても何も思い残すことはないと思った。自分の名前を知らせたし、映画もいい作品だったから、役者人生に残る映画だと思った」
しかし、それが最後ではなかった。「春夏秋冬そして春」での演技に注目したファン・ドンヒョク監督が、彼に出演を依頼した。オ・ヨンスは当時、日程が合わず、ファン監督の依頼を断ったという。しかし、季節が巡るように、またチャンスが巡ってきた。2020年11月、ファン監督はソウルの大学路(テハクロ)にやって来て、オ・ヨンスが出演した演劇を見た後、再び声をかけた。ネットフリックスのオリジナルシリーズ「イカゲーム」への出演依頼だった。
「イカゲーム」の人気で複数の企業から広告モデルの提案を受けたが、丁重に断ったことが明らかになり、話題を呼んだ。これについて、彼は本紙とのインタビューで、「出演した作品に合わない広告は遠慮したいと話した。作品に合わない広告に出て金を稼ぐのは、カンブ精神にも相応しくないものですから」と説明した。
国立劇団のキム・グァンボ団長兼芸術監督は「演劇と舞台に対する自負とプライドを持った生粋の演劇人」だとし、「彼が歩んできた長い役者人生がやっと評価され、幸いだと思う」とし、今回の受賞を喜んだ。
オ・ヨンスは今年、演劇の舞台に戻ってきた。今月7日から3月6日まで大学路のTOM劇場で公演される演劇「ラストセッション」でジークムント・フロイト博士を演じる。
オ・ヨンスは大好きだというフランク・シナトラ「マイウェイ」のように、役者一筋の道を歩み続ける。