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[書評]「植民地近代化論」の虚構を暴く日帝の統計

登録:2014-11-21 11:30 修正:2014-11-23 07:02
『数字で見た植民地朝鮮』イ・ゲヒョン、チョン・ビョンム編著/歴史空間
自身の研究室の資料前に立つ『数字で見た植民地朝鮮』の編者イ・ゲヒョン国民大学韓国学研究所専任研究員。写真ハン・スンドン先任記者//ハンギョレ新聞社

当代知識人の行間から読み取る
1920~30年代朝鮮総督府資料の真実

 植民地近代化論のどこに誤りがあるのか、日帝時代の統計資料を通じて詳しく明らかにした本が出された。韓国近代史を専攻するイ・ゲヒョン氏とチョン・ビョンム氏の二人の研究者による『数字で見た植民地朝鮮』だ。もともと独立活動家で社会主義者でもあったイ・ヨソンとキム・セヨンが1931年から1935年にかけた全5集の『数字 朝鮮研究』に手を入れて出した本だが、主に専門の研究者の間でだけ知られていた読み取りが難しい本を、一般読者にも読みやすくさせた。

『数字で見た植民地朝鮮』

 侵略者による植民地支配が近代化の基礎になったとする植民地近代化論は、自らの論理を構成してはいるが、その近代化が誰のためのものだったのかという点を問い詰めていくと、根源的な限界に直面する。『数字で見た植民地朝鮮』はそうした観点から植民地近代化論の虚構性を「最も具体的に、最も説得力があるように明らかにするとても重要な文書」とイ・ゲヒョン国民大学韓国学研究所専任研究員(47)は語った。

 朝鮮総督府の公認資料を活用したうえ、検閲を通過しなければならないため日帝に批判的な内容の相当部分が削除されているなどの限界があり、一部引用上の誤謬もあるが、イ教授は「著者が何を伝えようと思ったのか文脈や行間から読みとれるだけでなく、一部の題名だけ残され削除された部分を通じて多くの真実が見えてくる」と語る。彼は「1980年代に複製本が出され専門家たちが読んでいたこの本を、2000年代に入って起きた植民地近代化論・建国節の議論を見守りながら、一般の人たちにも読めるようにしなければならないと決心した」と話した。

 例えば1930年度に朝鮮で集められた直接税を見よう。当時の朝鮮人の直接税平均負担額は1戸当たり11円79銭9厘なのに対し、日本人は103円4銭9厘で約9倍もの違いが生じた。1人当りで見ると、朝鮮人は2円20銭4厘なのに対し日本人は25円93銭3厘で約12倍に達した。(『朝鮮総督府調査月報』1931年12月号)の実質可処分所得は、日本人は同じ仕事をしても朝鮮人の平均2倍を超えたし、移住中国人も朝鮮人より高かった。“近代化”の真っ最中にあった当時の朝鮮の最貧階級は他ならぬ朝鮮人だった。

 こうした構造は日帝末期になるほど傾向として一層深刻化し、朝鮮近代化による資本蓄積が主に誰のためにどのように推進されたかを如実に示している。

 1929年の一般労働25種の平均賃金は日本人が2円97銭なのに対し朝鮮人は1円76銭、中国人は1円60銭だった。農漁業労働者は中国人賃金がより高く、工場労働者も日本人成年工は平均2円32銭を得ていたが朝鮮人は1円、中国人は1.04円だった。

 朝鮮産米増殖計画も朝鮮産米の日本への“輸出”だけ増やされ、日本“内地”の食糧問題解決の助けになっただけであり、そこへ投入された途方もない費用負担を朝鮮農民が負うことになったことで朝鮮農民の借金は増えより貧しくなり、小作争議と離農が急増した。

 細民の場合は1926年に186万人で全体人口の9.7%、窮民は約25万9千人で1.5%、乞食は約2万人だったが、1931年には細民が420万人で20.7%、窮民は約105万人で5.1%、乞食は約16万4千人(0.8%)と急増した。細民は「生活が極めて窮迫した状態だが、まず延命している者」、窮民は「緊急救済を要する状態にある者」だ。 1931年にこれら極貧層は543万人(26.7%)となり全体人口の4分の1を軽く超えた。

 高賃金職群の格差はさらに広がっている。教師の給料を見ると、日本人は基本給の他に60%の手当てと18~21円の社宅料を追加で受け取り、初級が月45円なら平均約90円を受け取っており、僻地手当て10%、国境手当て20%、朝鮮語奨励費として月5~30円を別に受けていたとはいえ朝鮮人教師は基本給45円の他に手当ては一銭もなかった。校長の給料も日本人が3倍以上高い。朝鮮と日本の年間教育予算の比重も日本が朝鮮より2.5~6倍も高かった。朝鮮の教育予算の大部分は日本人学生たちが多く通う朝鮮総督直轄官立学校などの教育費として支出された。1929年の政府教育費補助金支出の内訳を見ると、朝鮮人学生は1人当り32銭4厘なのに対し日本人は2円61銭6厘で8倍も高かった。朝鮮人は学齢児童の19.9%だけが小学校に入学したが日本人は99.8%が進学した。

 その結果、1930年度に朝鮮人のうちハングル解読者は15.7%、日本語解読者は1.7%、二つとも読むことができる人は6.5%で、文盲者が76.1%にもなった。朝鮮人は総人口の97%、日本人は2.5%だったが、新聞雑誌など報道機関は日本人が633種、朝鮮人は93種を発行した。病院利用者も日本人がはるかに多かったが、これは高い利用料の他、医師、事務官、薬剤官、看護師にいたるほとんど全員が日本人なので、朝鮮の人々には言葉が通じなかったことも大きい原因になった。

 イ教授は「縦書きの国漢文混用の古語体である合計750ページの5集を、読みやすく書き直して校閲するだけで1年以上かかった」と語り、写真資料まで加えた520ページの『数字で見た植民地朝鮮』には原書内容が忠実に盛り込まれた。そして強調した。「歴史を失った民族には未来がない」。

ハン・スンドン先任記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2014.11.20 21:02

https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/665509.html  訳Y.B

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