<ハンギョレ>創刊25周年記念式が15日午後ソウル龍山区(ヨンサング)の白凡記念館で開かれた。
ヤン・サンウ ハンギョレ新聞社代表理事はこの席で‘開放・共有・協力’を強調する未来ビジョンを宣言した。 ヤン代表理事は 「25年前のハンギョレは‘話すハンギョレ’だったと言うことができる。 力がある人々の話を伝える言論しかなかった時、ハンギョレは無力な人々の側に立って彼らの口と耳になった」として「25年が過ぎた今、ハンギョレはその創刊の精神をもう一度胸に刻み、‘話しかけるハンギョレ’として‘開放と疎通’を通じた‘開かれた進歩言論’の道を追求する」と話した。 ヤン代表理事はそのために読者が参加する‘ハンギョレ読者編集委員会’とニュース製作過程に需要者がリアルタイム参加するシステムである‘ブツブツHANI’を導入し、現在施行中の市民編集者制度を強化するなど読者との‘疎通’を強化すると明らかにした。
この日の行事にはハンギョレ創刊元老と株主、読者をはじめとしてパク・ハンチョル憲法裁判所長、ヒョン・オソク副総理兼企画財政部長官、ソン・ギョンシク大韓商工会議所会長、チョン・カプヨン延世(ヨンセ)大総長、ペク・キワン統一問題研究所長など500人余りの各界要人が参加し席を輝かせた。
ハンギョレ新聞創刊委員長を務めたハン・スンホン弁護士は祝辞で「ハンギョレは権力からの独立を守るために、権力の干渉と横暴に屈従することを放棄した。 その中で広告断絶など経営上の困難を経験したことは1度や2度でない。 しかし、去る4半世紀の間、自由言論の砦として強固に守ってきた」と話した。
株主を代表して祝辞を贈った創刊株主イ・スンホン(45・女)氏は「ハンギョレ創刊の時は二十歳の大学生だった。 地方の両親が勉強するために用意してくれた借家の保証金を引き出してハンギョレ創刊に注ぎ込んだ。 限りなく保守的で物質的なこの社会で、滅びずに持ちこたえてくれたことだけでも本当にありがとう」と話し大きな拍手を受けた。 イ氏は「事実の伝達と共に思考の体系を捉える言論の役割をより一層充実して行ってほしい」と注文した。
ファン・ウヨ セヌリ党代表は祝辞で「ハンギョレは民族・民主・統一という価値を創刊精神として言論として役割を充実させてきた。 格別な情熱と意志で正論直筆の使命を続けられることを祈る」と話した。 キム・ハンギル民主党代表は「毎朝ハンギョレとともに始めて25年になった。 ハンギョレは有益な情報を提供してきたし、世の中を読む方法を呼び覚ましてきた。 ハンギョレは '乙' のための新聞だ」と祝辞した。
創刊当時ハンギョレ釜山支社長であり、創刊株主、創刊読者、創刊委員だった文在寅(ムン・ジェイン)民主党議員は「我が国言論の歴史がハンギョレ新聞の創刊前と後に分けられると考える。 創刊に参加したことが真に誇らしい」と話した。
キム・インギュ忠北(チュンブク)清州(チョンジュ)ハンギョレ家族会会長、キム・ヒョンテ弁護士、リュ・シムン ハンメク都市開発会長、チョ・ゴンヨン建築家らはハンギョレ25年の歴史に寄与した功労で感謝盃を受けた。
行事はキム・ソンウ詩人の祝詩朗唱とナム・サンイル、パク・エリ氏によるパンソリ公演に続き、ペク・ナクチョン ソウル大名誉教授の音頭で乾杯をして終えられた。 チェ・ユビン記者 yb@hani.co.kr