英国の優れた歴史家、E・ホブズボームは、20世紀の百年を極端な世紀と呼んだが、韓半島ほど、極端な百年を経験した地域はどこにもない。
20世紀の初頭、韓半島は事実上、日本の植民地下に置かれ、その後、日本帝国の軛のもとで亡国の歴史を彷徨い、解放後は分断と熾烈な内戦をくぐり抜け、そしてアフリカ諸国の最貧国と同じような過酷な条件から出発した韓国は、軍事クーデター、開発独裁、圧縮近代化、民主化を経て、「先進国」の地位にまで上り詰めたのである。貧困と隷従、屈辱の植民地支配からOECD諸国の一角を占める「漢江の奇跡」へ。この目も眩むような落差を駆け上った韓国は、まさしく極端な百年を身をもって体現したことになる。
こうして今や韓国は、発展途上国や新興国にとって開発モデルとして賞賛されるようになった。だが、韓国内の現状を省察してみれば、その抱える問題は余りにも深刻だ。財閥を中心とする富の独占と集中、中小零細企業の疲弊、地域経済の劣化とソウル一極集中、非正規雇用の増大と若年層の雇用不安、少子高齢化と離婚率の増大、貧弱な社会保障と劣悪な労働環境、学歴主義と激烈な競争、OECD諸国の中でも群を抜く自殺率と高齢者の孤独死、地域主義に偏った政党政治と構造的な汚職など。数え上げたら切りがないほどの数々の宿痾を抱えている。しかも、休戦協定から60年を経ても、南北分断の現実は変わらず、南北対立の構造的な桎梏は、韓国という国家の自由な行動範囲を大きく制約したままだ。
こうした韓国の抱える内外の構造的な歪みは、韓国の潜在的な能力を削ぐ結果になっている。この点は、韓国を取り巻く地政学的な状況が、19世紀後半の大韓帝国を囲繞する国際環境にも似て忌々しい事態となりつつあることを考えると、きわめて深刻だ。この場合の忌々しい事態とは、台頭する中国と日本との覇権争いを指している。
翻って、解放後の東アジア地域では米国の圧倒的なプレゼンスのもと、共産・中国を包囲する形で米国をハブに日本、韓国、台湾をスポークとする、対中および対北韓封じ込めの国際的な連携が形作られてきた。米国を中心とする二国間主義(バイラテラリズム)のネットワークの中に日本も韓国も組み込まれ、その中で日本は地域的な経済大国でありながら、政治・軍事的には去勢されたまま、あくまでも米国の傘の中でその経済的利益の拡大を約束され、他方、韓国は、朴政権以後、政治・安全保障面では米国に、経済的には日本に依存する衛星国家としての地位をあてがわれてきた。
朴政権の開発独裁は、そうした国際的な条件の下で可能になったのである。しかしそれは1997年のIMF危機の下で破綻し、それ以後、韓国は急速なグローバル化と自由化、構造的改革を押し進め、家電や自動車、機械や素材産業で日本と競合するほどの輸出力を身につけるようになった。明らかに韓国は日本との垂直分業体制の桎梏から離脱するようになったのである。同時にその受け皿になったのは、天安門事件以後、「社会主義的市場経済」化を押し進めるようになった中国である。
韓国が、地勢経済的にも近接する中国経済と相互依存関係を拡大、深化させ、貿易・通商の面で中国への依存度を高めていくのは、ある意味で避けられない。しかも北韓に圧倒的な影響力をもつ中国と密接不可分な関係を保つことは、安全保障上の要請でもあった。
こうして韓国は、政治・安全保障の面では米国に、貿易・通商の面では中国に依存する「親米和中」(米国と親しく交わり、中国とも平和的な関係を維持する)が、国家存続の基本原則となったのである。
政権交替の度に
極端から極端にブレる
対北政策 推進方式を
抜本的に改め、一貫した
基本方針を策定する必要がある
南北関係と対北政策を
国内政争の道具と
みなさないことが重要だ
しかし、他方で、イラク戦争やアフガン戦争での失敗やサブプライムローン、リーマンショクなどによる米国経済の低迷と国力の衰退は否めず、それと比例して政治・安全保障の面で日本のプレゼンスが相対的に大きくなりつつある。その意味で米国一極支配や単独行動主義のプロジェクトは完全に破綻し、米国はその覇権の維持のためにも東アジアでは日本と韓国、さらにオーストラリアなどの同盟国との国際的な協力を必要としているのである。
現在の安倍政権は、このような地勢学的な変化を睨みつつ、政治・安全保障面で日本の地域大国化を押し進め、かつてブレジンスキーが言ったような「アメリッポン」(アメリカ+ニッポン)としての準覇権国家の地位を求めようとする新・保守主義的な勢力の代表にほかならない。日本の国民の多くが「右傾化」を望んでいるわけではないにしても、政党政治のレベルでは憲法改正と自衛隊の「国防軍」化、過去の植民地支配・戦争の見直しが進み、安倍政権によって日本はポスト戦後国家へと脱皮しようとしているのである。
そのような日本と中国が尖閣諸島(魚釣島)の領有権をめぐって武力衝突の危機に陥る可能性があるのも、その背景に日本と中国の覇権争いがあるからであり、かつての日清戦争前夜のような様相を呈しつつあるとも言える。
かつて甲午農民戦争から日清戦争へと至る日中間の覇権競争がそうであったように、中国の覇権的な台頭と米国の覇権的影響力の衰退、そして日本の政治大国化というパワー・シフトの中で、韓半島は権力政治的争奪のアリーナ(競争場)となりつつある。その焦点とし浮上しているのが、北韓をめぐる危機である。
「(新たな体制への)移行に挫折した現存社会主義国」である北韓の核武装とミサイル発射は、米国の核の傘による安全保障体制を揺るがし、韓国国内にも日本国内にも核武装論が公然と持ち上がりつつある。そうなれば、東北アジア地域における核のドミノ現象は避けられず、東北アジアは、冷戦期のキューバ危機を凌ぐ核戦争の脅威に晒されるだろう。
それでは、ブッシュ(ジュニア)政権の米国がフセイン政権を外科手術的に崩壊させたように、北韓のレジーム・チェンジに打って出ればいいのであろうか。北韓は、米国の先制攻撃を恐れ、フセインやカダフィの運命を避け、通常兵力の劣勢を補うために核保有国へと舵を切ったのであり、もはやそのような外科手術的なレジーム・チェンジはありえないし、また米国の衰退する国力ではそのような軍事的選択は到底不可能である。
この間、オバマ政権は、北韓をめぐる危機よりも、イスラエルを取り巻く中東・アラブシフトに力を注ぎ、北韓の挑発については中国と韓国に役割分担(バーデンシェアリング)させる「非関与政策」(non-engagement)の立場を取ってきた。その結果、米国との直接交渉を求める北韓の挑発はエスカートし、第二次朝鮮戦争の危機すら取沙汰されるようになったのである。北韓の狙いが、休戦協定に代わる平和協定の締結と、新たな南北共存のレジーム作り、さらに南北のクロス承認(米・中・日・露周辺4カ国による南北の承認と正常化)にあることは明らかだ。それだけが、北韓の体制存続に通じるからである。
だが、李明博政権は金大中、盧武鉉政権と続いた北韓への関与政策を逆転させ、むしろ南北関係を抜き差しならないほど悪化させることになった。その結果、韓国のカントリーリスクは高まり、経済運営にすら悪影響が及ぶことになった。そのため韓国は東北アジアでのイニシャティブを振るえないまま、安保や外交で米国をはじめ、周辺大国に依存せざるをえなくなったのである。
北韓をめぐる危機の収束は、東北アジア地域のパワーシフトの行方を決定づけることになるはずだ。もし韓半島がドイツ再統一と同じような進路を辿れば、中国は地政学的なリスクを抱え込むことになり、米国や日本の対中優位が決定的になるかもしれない。その場合には韓国は否応無しに米・日の二大海洋勢力(シーパワー)に組み込まれていかざるをえないだろう。だが、そのために払わなければならないのは、第二次朝鮮戦争のような巨大な犠牲であり、それは韓民族全体にとって堪え難い負担である。とすれば、韓国の選択肢はひとつしかない。金大中政権の下で進められた包容政策を推し進め、南北との2者協議、さらに中国をホスト国とする6者協議で積極的なイニシャティブを発揮し、北韓の核放棄を粘り強く迫り、同時に休戦協定体制に代わる新たな平和協定体制作りに向けて米国と中国にアクティブに働きかけることである。
そのためには、政権交代の度に極端から極端にブレるような対北政策の在り方を抜本的に改め、政権交代が起きてもブレることのない、一貫した対北政策の基本方針を策定する必要がある。南北関係と対北政策を国内の政争の具にしないことが肝要なのだ。そのモデルとなりうるのは、旧西ドイツの「東方政策」とその延長上に目覚ましい成果を残したハンス・ディートリッヒ・ゲンシャーの対東ドイツ・東欧・旧ソ連邦外交である。そうした一貫した対北政策が実行に移されるためには、韓国でも旧西ドイツにおける1966年から1969年に及ぶ大連立のような与野党連立が実現されなければならない。
対北政策での分裂が、地域主義と結びつき、それが与野党間の熾烈な対立と結びついている限り、韓国内の「南南対立」は解消しえず、それは北韓に付入るスキ(いわゆる「北風」)を与えるとともに、周辺大国の介入を招くことにならざるをえない。かつての大韓帝国の失敗から学ぶべきである。
もし、与野党大連立の可能性が乏しいとするならば、せめてフランスのミッテラン、シラク政権のような、「保革連合」(コアビタション)の道を模索し、内政は野党党首の首相に、対北を含めた、国家の安全保障や外交は与党党首の大統領に、それぞれ権限を任せるような統治システムを構築すべきだ。そのためにも、政党の脱地域主義化が不可欠であり、縁故主義・人脈主義(ネポティズム)に偏った政党の在り方を刷新し、より開かれた政党政治へと脱皮していく必要がある。なかでも、韓国の場合、英国の労働党やドイツの社会民主党のような、労働者の利害を代表する政党が未成熟であり、それが逆に一部労働政党の「過激化」を招いているとも言える。組織労働者、未組織労働者を問わず、非正規被雇用者を含めた労働者の利益を代表する、社会民主党型の政党が一定の勢力を確保できるようになることが望ましい。
さらに内政面で見れば、韓国内の富の偏在と地域間・階層間の格差ははなはだしく、その結果、有権者とくに若年層の政治的アパシー(政治的無関心)が増幅され、果ては南北問題への関心すら薄れつつある。これに歯止めをかけ、ソウル一極集中の弊害を是正し、地域経済の再生による雇用の安定と内需の拡大をはかり、輸出指向に偏った韓国経済をより均衡ある経済構造に変えていくためには、社会保障や医療、年金を含めた社会的セーフティネットの抜本的な改革が必要である。財閥系大企業に偏った輸出偏重の経済成長とその均てん(トリクルダウン=雨漏り)による国民経済の向上という繁栄の図式はもう限界に達しており、韓国は何らかの形で内需拡大型の成熟経済へのソフトランディングが必要な時代を迎えている。ウォン高をただ韓国経済の危機と捉えず、物価の安定による内需刺激の経済政策へと転換すべきであり、ウォン安=「国民の出血」による輸出偏重=財閥企業中心の成長路線に復帰すべきではない。
韓国が、ウォン高を活かしながら、原油をはじめとする物価の安定を図り、所得再配分に手厚い福祉政策を実施し、中小零細企業の活力とその裾野を大きくしていくことに成功すれば、韓国でもドイツ型の安定した成長による高福祉社会を実現することは可能である。
幸いにして韓国は、天文学的な財政赤字を抱えた日本と違って、国内総生産に対する財政赤字の比率は決して高いわけではない。健全な財政収支とウォン高を活かし、地域経済や中小零細企業の振興、民生部門や社会保障のインフラ整備に重点的に資源配分を行えば、社会の底辺から活力を引き出し、均衡の取れた持続的な成長を確保することは可能である。
朴槿恵政権が、こうした新たな成長と均衡、所得再配分と社会保障に目配りした路線を歩むことが出来るかどうかはまだ未知数である。ただいずれにしてもハッキリとしていることは、一国の国力は富の偏在や独占によってではなく、民生の安定と分権化、そして政治参加を通じてより充実したものになるということである。韓国が、その内部の様々な分裂や対立、葛藤を収束し、分権化と参加による政治統合が可能な社会へと移行していくことになれば、韓国はより一貫した対北政策を追求するとともに、日中間の対立に対する斡旋・媒介の役割を果たすことも不可能ではない。その意味で、韓国は、東北アジア地域のベネルクス諸国(オランダ・ベルギー・ルクセンブルク)、あるいは東南アジア諸国連合のような仲介的役割を果たすことが可能なのだ。その時、韓国は名実ともに東北アジアのハブとなりうるはずである。韓国は、自国内の葛藤のみならず、北韓との葛藤に終止符を打ち、ミドル・パワーとして東北アジアのハブとならなければならないのだ。
姜 尚中(カン サンジュン)日本 聖学院大学教授