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カンボジア 虐殺責任者ら32年ぶりに法廷へ

原文入力:2011/06/27 21:56(1293字)
イ・ヨンイン記者

ヌオン・チアなど首脳部 4名 初公判
プノンペン国連戦犯裁判所で開かる
"公判不快" 被告ら容疑 否認

















↑被告人主要容疑(左からキュー・サムファン、イエン・サリ、イエン・チリト、ヌオン・チア * クリックすれば大きく見ることができます。)

 "事件番号002の初公判を開会します。" 30年以上待ち望まれたクメール・ルージュ政権首脳部に対する戦犯裁判が27日 始まった。ニール・ノン裁判長の平凡で簡略な開会宣告で始まった裁判だが、ナチ戦犯裁判以後 最も歴史的な戦犯裁判だ。‘キリングフィールド’に象徴されるクメール・ルージュ政権時期は、20世紀人類の最も暗い歴史の中の一つとして記憶される。

カンボジア クメール・ルージュ政権でポル・ポト当時総理に続きNO.2であったヌオン・チア(84),キュー・サムファン(79)当時国家元首、イエン・サリ(85)当時外相と彼の夫人イエン・チリト(79)当時社会長官など4人に対する初公判が首都プノンペンに開設された国連の戦犯裁判所で開かれた。これら4人は共産革命後クメール・ルージュ執権期間の1975~1979年の間、飢餓、強制労働、拷問、処刑などにより当時の人口の4分の1にあたる200万人を死に追いやり大量虐殺、反人道主義犯罪、戦犯などの容疑で起訴された。

カンボジアと国連はほとんど10年間にわたる交渉の末に、2006年この戦犯裁判所を開設し、ヌオン・チアらを2007年に逮捕し昨年9月に起訴するに至った。1万5000人が亡くなったクメール・ルージュのツールスレン収容所(別名S-21)所長だったカン・ケ・イウ(事件番号001)はすでにこの法廷で30年の刑を宣告されたが、事件番号002は1998年に死亡したポル・ポトを除けば最高首脳部の4人を対象にする裁判であり国際的関心を集めている。

この日の公判で被告人4人全員は容疑を否認したと<AFP>通信は伝えた。特にポル・ポト政権のNO.2であるヌオン・チアは「このような形の公判は不快だ」とし自身の弁護士がその理由を後ほど説明すると話した。公判は今後 四日間にわたり専門家と証人の証言を聞いた後、8月末には被告らの陳述を聞く予定だ。被告は逮捕以後、彼らだけのための特別監獄に収監され調査を受けてきた。

クメール・ルージュ政権は執権以後、資本主義打破と理想的農業国家建設のために都市住民たちを農村に疎開させ、貨幣と学校を廃止するなど過激な措置を乱発しベトナムの侵攻により失脚した。被害者は裁判所がクメール・ルージュ政権に関与した5人の追加容疑者を起訴できなかったと非難しているが、自身がクメール・ルージュ政権で賦役していたフン・セン カンボジア総理は今回の裁判の他にこれ以上の戦犯裁判は国家の不安定を呼び起こすとして反対している。

チョン・ウイギル先任記者 Egil@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/international/asiapacific/484756.html 訳J.S