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日本 原子力発電所‘老人決死隊’"俺達が解決する"

原文入力:2011-05-26午後05:36:28(2006字)
60代以上だけ参加可能…165人が志願

キム・ドヒョン記者

←山田恭暉. 毎日新聞インターネット版キャプチャー

1960年5月、日本が米国主導の冷戦体制に加担する米-日相互防衛条約改正(延長)に反対する大規模‘安保闘争’が広がった東京、永田町(韓国の汝矣島のような政治1番地)国会議事堂前に山田恭暉(72)も参加した。当時、東京大工学部生だった山田は‘社会主義学生同盟副委員長’身分で安保闘争を率いた。
安保闘争で敗北した後、一般企業に入りプラント建設と水力発電所建設に参加し原子力に知識のあるエリート エンジニアとして半生を送った山田は、白髪混じりの年齢で再び闘争に出た。

打倒対象は51年前と同じ親米保守政権ではなく、メルトダウン状態に置かれた福島第1原子力発電所。‘福島爆発阻止行動隊’の結成を主導した。20代の若者でなく60代以上だけが参加できる老人決死隊だ。

彼は去る4月6~8日、友人と前同僚たちにEメール500通と手紙2000通を送った。

 「数千名の熟練した有能な作業員を準備する必要があります。現在のような下請けと再下請けによる臨時変動的な作業員募集では数分間作業をして帰ってくることしかできません。身体面でも、生活面でも最も放射能被爆量の害が少なく終えられ、その上 今までに現場作業や技術能力を蓄積してきた退役者などが力を絞り出し次世代に否定的遺産を残さないためにすべき仕事があるのではないでしょうか。」

山田は要請文に60才以上の参加条件と安保闘争当時の経歴を添付した。

反応は期待以上だった。25日付<毎日新聞>報道によれば参加意志を表明した人は165人。大学教授、自衛隊員、大型クレーン運転技能士、配管工、料理人など職業も多彩だ。最高齢者は78才で女性も3人が手をあげた。連絡した人々の他にもどこかから行動隊募集の消息を聞き連絡してくる人々もいた。

 「こんなに反響を起こすとは思いませんでした。東京電力に連絡し原子力発電所復旧活動をすると志願したが不可通知を受け取ったという方もいます。参加者の夫人たちから‘夫が参加することを誇らしく思う’という電話がきたりもしました。」

山田は<毎日新聞>と行ったインタビューで「友人や知人たちに送った要請文に学生時代の社会主義学生同盟副委員長という経歴を添付したことが効果があったみたいです。60年安保闘争の闘士ということですからね」と笑った。「私は技術者だから直ぐに分かった。原電事故収拾は安定した冷却設備の建設、維持補修、運転をしなければならないと。その上、放射能に強く汚染された環境下で10年単位で仕事をしなければならないと友人と話した。それなら誰がすればよいか? 俺たちがせざるを得ないと。」それでは老人決死隊は具体的に何をするのだろうか?

 「少し悲壮感が漂ったでしょうか? 死地へ向かうわけではない。十分に管理された条件で被爆を最小に抑制して行う。きちんとした仕事をしたいだけですから。ところが、このプロジェクトは私たちだけではやりようがない。国家次元の組織を設立するよう与党国会議員たちに促しています。菅直人総理の耳にも聞こえているようですが。私たちの行動隊は名簿を任せ中心メンバーとして登録すれば良い。その組織が機能すれば私たちのプロジェクトはそれだけです。」 彼は20日、自身のツイッター(@officeyam)に「現場に行かなくても色々な形態の後方支援はすることができると考えます」と話した。

参加者の中には若い時期に福島第1原発建設に参加した人もいる。彼は山田に「先生、ぜひ福島の人々の危機を避けられるよう私を使って下さい」と手紙を送ったという。彼は<毎日新聞>とのインタビューでこのように話した。

 「津波に襲われた原子力発電所の建物に関与したので、やはり責任を感じています。未来のエネルギーとしてクレーンも最先端機種で作りました。偶然、スポーツ新聞で行動隊のことを知って これしかないと思いました。先生が安保闘争の学生リーダー? 左翼でも右翼でも関係ありません。一番最初に行きたいです。」

日本は官僚主義があまりにも発達した国である上に、冷笑的な物の見方も少なくなく、山田が作った民間行動隊が実際に福島原子力発電所収拾に活用されるか否かは未知数だ。しかし安保闘争の闘士が掲げた‘爆発阻止’の情熱だけは責任を転嫁することに忙しい永田町国会議員たちよりはるかに熱い。

キム・ドヒョン先任記者/ツイッター@aip209

原文: https://www.hani.co.kr/arti/international/international_general/479862.html 訳J.S