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キム・ジンスク‘排泄物爆弾’発言にドイツ労働者 爆笑

原文入力:2012/05/29 20:40(2793字)

ドイツで巡回講演・懇談会を開いたキム指導委員
309日間 クレーン闘争の話 生き生きと聞かせ
"高空闘争・希望のバスは前例のない労働闘争" "大きな感動を得た"

"キム・ジンスク氏の勇気に同じ労働者として大きな感動を受けた。"(ドイツ シーメンス労働者)

 ‘309日間のタワークレーン闘争’という労働運動の新しい歴史を書いたキム・ジンスク民主労総指導委員が去る24日(現地時間)ドイツ ベルリン金属労組本部で韓進重工業事態と希望のバスの話をすると、50人余りの聴衆は熱い連帯の熱気で応じた。 ドイツの労働者は特に 「2009年ドイツは労働組合と企業、政府が賃金引き上げ抑制に合意して大きな衝突がなかったが、数多くの非正規職労働者が解雇された経緯がある」として、韓国の整理解雇実態に強い関心を示した。

 キム指導委員はファン・イラ民主労総釜山本部相談部長と共に去る19日から26日までフランクフルト、ハンブルグ、ベルリンでドイツ巡回講演と懇談会を開いた。 ドイツは昨年クリスティアン ヴルフ当時大統領が希望のバス支持書簡を送った程に彼らと縁が深い国だ。 24日ベルリン金属労組懇談会にはドイツ国際自動車評議会のためにドイツを訪問中の双龍(サンヨン)車解雇労働者キム・ジョンウン氏も参加して双龍車事態と解雇者の現実を知らせもした。 キム委員は「双龍自動車解雇者らは途方もない暴力で心の傷をたくさん受けた」として双龍車事態解決のための国際連帯も訴えた。

 キム・ジンスク氏とドイツの縁は進歩的日刊紙<タゲスチャイトゥン>に始まる。 <タゲスチャイトゥン>の記事を通じて韓進重工業事態とキム・ジンスク委員の高空闘争がドイツに知らされ、ドイツ金属労組はキム委員の招請を推進し始めた。 今回の行事の組織を引き受けたベルリン金属労組国際交流支部のハンス クェブリヒ(67)は「同僚が記事を読んで大きな感動を受けて私に話した」として「キム委員の高空闘争と希望のバスは前例のない労働闘争」としてその意味を評価した。

 去る22日夜<タゲスチャイトゥン>が運営するベルリン ルディドゥチケ通りのタツカペで開かれた‘高空ストライキ’講演もやはりキム委員の籠城に対するドイツの関心を反映していた。

 キム委員は客席を埋めた100人余りの聴衆に「私を訪ねてきて下さり闘争中に心がこもった連帯を示していただいた皆さん、心より感謝申し上げます。 皆さんのおかげで生きて降りてくることができました」として感謝を表現した。

 キム委員は当時知人たちが携帯電話バッテリーをクレーンに上げるために模型ヘリコプターを買ったが、ツイッターに上げたために阻止されたこと、食パンの中に隠してバッテリーを上げようとして死守隊が食パンに塗ったボンドを食べることになったこと、外注警備チンピラが上がってくる時には排泄物を爆弾として使ったことなど急迫した状況でも‘笑わずにはいられないハプニング’を聞かせ、笑いが絶えなかった。 また孤独な闘争中、彼女に唯一の疎通の通路となってくれたツイッターの話、公権力が入って来てキム委員に食事を上げてくれたファン・イラ部長が体験した困難も生き生きと伝えた。

 講演後の質問時間には聴衆の質問が活発になされた。 夜7時に始まった講演は予定より一時間も延びた夜10時まで続いた。 ドイツの聴衆はキム委員の籠城が成し遂げた成果、特に希望のバスに注目した。

 キム委員は「30年間、労働運動をしてきたが希望のバスのような形式の連帯は私も初めて見た」として「<バスに乗れ>というドキュメンタリー映画を見て初めて希望のバスがどんな意味なのかを実感した」と明らかにした。 キム委員は希望のバスを官僚化された韓国労働運動の代案として評価するとも語った。 彼女は「もし民主労総が希望のバスを作ったとすれば、名前も希望のバスではなく複雑に‘○○のための闘争’という長い名前になっただろう」とし「権威的で官僚的でなかったために希望のバスが可能だったし、切々として愛情こもる運動が可能になった」とし笑いと共感を引き出した。

 あるドイツ人は「クレーンに上がったのは一人で決めたのか、組合員らと合意の上でしたのか」尋ねもした。キム委員が「私が上がるのを誰も知らなかった。 人々が知ってとても驚いた」と答えると講演会場は一瞬粛然とした。 キム委員は労働運動に飛び込んだ後、溶接工として働きながら、また監獄で体験した苦難がクレーン上で自身を耐えさせたとして「ペンチのような道具を一つ持って上がり、屋根とトイレ、さらに水道も作って使った。その上に上がってペントハウスもうらやましく思えないほど楽しく過した」と明らかにして大きな拍手を受けもした。

 ドイツ人だけでなく、韓国人留学生と海外同胞の反応も熱かった。 ベルリンでワーキングホリデービザで仕事をしているキム・セボム(28)氏は「死ぬ覚悟をしてシンナーまで持って上がったが、菜園にイチゴとミニトマト、チコリを育てられたというエピソードに感動した。 今日録音したものをネット放送に上げてより多くの人々が聴けるようにする」と話した。 2001年にドイツに来た海外同胞ユ・ジェヒョン(38)氏も「309日間、精神的にも肉体的にも難しい状況を体験した方なので、がっしりされた方だと考えたが、実際に見るととても華奢な方で衝撃的だった」としてキム委員を‘小さな巨人’と評価した。

 海外同胞と留学生はクレーン籠城はもちろん今回のドイツ訪問過程でもキム委員とドイツを結ぶ‘橋’の役割をした。 40余年前に看護師としてドイツに定着したチェ・ヨンスク(68)氏はドイツ金属労組とキム委員を結びつけた。 チェ氏は海外同胞による5・18記念行事である5月民衆祭り準備委員として、韓民族ヨーロッパ連帯で活動中でもある。 昨年夏、釜山影島(プサンヨンド)の闘争現場を支持訪問し、キム・ジンスク氏と電話通話もした。 またヴルフ大統領の希望のバス支持書簡もドイツ留学生チョン・ジヘ氏が直接ドイツ大統領に高空クレーン闘争への支持をお願いする手紙を送った努力の末に実現した。

 キム委員は「ドイツ海外同胞、留学生、ドイツ大統領までが私を助けてくださり、とても有難かった。 その気持ちを伝えにきた」と今回の訪問の目的を明らかにした。 キム委員は26日ドイツ海外同胞の5月民衆祭りでも熱い呼応の中で講演を終えた。

ベルリン/文・写真 ハン・ジュヨン通信員 juyeon@gmx.de

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/labor/535069.html 訳J.S