本文に移動

ニコン 最小限の理由も説明せずにいる

原文入力:2012/05/24 18:42 修正:2012/05/24 21:47(1871字)

←6月26日から7月9日まで日本東京新宿のニコンサロン展示場で開かれる予定だった在日カメラマン安世鴻さんの「慰安婦ハルモニ写真展」ポスター。安世鴻氏提供

「東京慰安婦ハルモニ写真展」取り消された安世鴻氏

「1991年からハルモニたちを撮影
大阪での展示も合意していたが
とんでもないことだとしか言いようがない
私は予定通り展示の準備を続ける」
ニコン社は「開催抗議」あった


「とんでもない事だとしか言いようがありません。 私は予定通り、展示の準備を続けるつもりです」

←在日カメラマン 安世鴻(アン・セホン)氏

22日、ニコンサロン側から6月26日~7月9日に東京新宿の展示場で開かれることになっていた「慰安婦ハルモニ写真展」開催を突如中止(「ハンギョレ」24日付1面)という連絡を受けた安世鴻(アン・セホン)氏(41・写真)は24日、ハンギョレとの電話取材で「今もまったく腑に落ちない」と語った。日本国内の右翼団体が写真展に否定的な動きを示す可能性があることを全く予想できなかったのではなかった。しかし、このようにニコンサロン側が展示会自体を急に中止にするとは、全く考えられなかったという。 安氏がニコンサロン側に展示会審査を要請したのは去年12月。ニコンサロンが審査会を開いて展示を決定したのは1月24日だった。以後4ヶ月間、進行は順調だった。彼は今月19日、名古屋市で写真講演会を開くなど積極的な広報に出たところだった。この日、 朝日新聞地方版に関連記事が大きく掲載されたりもした。ニコンサロンの大阪展示場でも展示会を開こうという提案があり、9月13日から20日まで開くことにちょうど合意したところだった。

←イ・スダン ハルモニが1970年代、北朝鮮粛川郡に暮している家族と初めて連絡が取れた後、もらった家族写真(中)。 パク・デイム ハルモニが中国文化革命の時、受け取った身分証明書を揚げて見せている(右)。 パク・ソウン ハルモニが下血で倒れた後、隣人たちが尋ねて来て、面倒を見ている。安世鴻氏提供

安氏が今回展示する事にした写真は、旧日本軍に連行され、戦争が終わった後、中国に残された慰安婦ハルモニたちの姿を撮った計38枚だ。彼は1991年から慰安婦ハルモニたちの写真を撮っており、特に2001年から2005年まで7回、中国を訪問して中国に残留した慰安婦ハルモニたちの姿をカメラに収めた。日本で慰安婦ハルモニ写真展示会を開くのは、今度が初めてだ。ハルモニたちの畿重にも刻まれたしわと、恨を象徴して展示会の名称を「重重-中国に残された朝鮮人慰安婦ハルモニたち」[訳注:正しくは『重重-中国に残された朝鮮人元日本軍「慰安婦」の女性たち』]と名付けた。

「22日と23日に担当者が展示会を開くことができないと電話して来ました。謝罪に来ると言ったが、展示会を取り消した理由は説明せず、ただ謝りだけすると話したので、二度と来るなと言いました」

カメラ会社であるニコンは、東京の新宿と銀座、大阪などにある5ヶ所のニコンサロン展示場を用意して、カメラマンたちに展示空間を開放するなど、写真芸術を支援してきた。安氏は「何か圧力があったと言っても、こんなにあっけなく表現の自由を黙殺したら、ニコンが写真界を導いて行くことができるだろうかとの気がする」と批判した。安氏はニコンサロン側が文書を通じて展示会中止の理由を具体的に説明するまでは、展示会の開催準備を続ける話した。

ニコンサロン側は、なぜ展示会を中止したのか具体的な理由を説明していない。ニコンサロン広報担当者は24日、ハンギョレの質問に「多くの抗議があったのは事実だが 展示会を中止したのは諸般の事情を総合的に考慮して決めた」と答えた。インターネットでは、21日から右翼色彩が濃い2ちゃんねる掲示板に、ニコンサロンの安世鴻氏写真展開催を批判して、ニコンカメラ不売運動をしようというなどの内容の投稿が多く投稿されていた。この様な動きが、ニコンの決定に影響を与えたことは確かに見て取れる。

写真展が急に中止されたことに関して、日本ビジュアルジャーナリスト協会(JVJA)は、表現の自由を侵害したことだと報告、共に対処する事にしたと安氏は伝えた。

東京/チョン・ナムグ特派員 jeje@hani.co.kr
原文:https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/534478.html 訳 M.S